増塩太朗
Rumor Has It
Courtesy of the artist and Empty Gallery|無断転載禁止
展示風景(Empty Gallery|2020年12月|香港)
▶︎ https://emptygallery.com/exhibitions/eg20/
映像作品 公開期間:2021年6月14〜6月21日
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https://rumor.peatix.com/
Taro Masushio, Untitled 27, 2020 HD video, 25分42秒
増塩は日本で得たヴィンテージのホモエロチカのフィルムを自身のスタジオで投影し、それを撮影。この映像は、暗い部屋で鑑賞するとより堪能できる。
Taro Masushio, Untitled 28, 2020 HD video, 14分41秒
“大阪のおっちゃん”の生きた街を増塩が訪れ撮影した作品。ナレーションは、薔薇族の編集者、藤田竜が1971年に書いた2つの文章をもとにしている。旅の記録のようでもあるこの映像は、円谷が住んでいたかもしれない部屋をうつし彼の面影を探すようでもある。
Empty Gallery(香港)によるテキスト全訳:
Empty Galleryでは、ニューヨーク在住のアーティスト、増塩太朗初の個展「Rumor Has It」を開催します。増塩のコンセプチュアルな制作活動は、散文、ビデオ、ドローイング、彫刻を含み、それらの関係性の中で写真を命題を提案するものや思索的な装置として位置づけています。彼は写真媒体を現実の記録として使用するのではなく、イメージの許容性を調査し、私たち自身の知覚を操作することで、それを無限に拡張します。つまり、多元的な可能性を内包した世界の追求のために、時間、空間そして感情の領域を変幻自在に彫刻することで、それらを作品において機能させると言えます。
「Rumor Has It」を構成する作品群は、増塩が埼玉のマンションの一室に保管されていた特異なホモエロチカのアーカイブと運命的に出会ったことに端を発しています。そこは貴重なネガフィルムやファイルの宝庫であり、名も無き少年たちが集う虚ろな欲望の貯蔵庫でした。それに魅了された増塩は、レンズの後ろにいた円谷という人物を発見します。本展は、「大阪のおっちゃん」として知られる円谷順一(1916-1971)の長い間、謎に包まれていた事柄を中心に、写真、ビデオ、そして一つのモノリス状の彫刻で構成されています。円谷は、父であり、夫であり、写真ラボの技術者であり、その他にも様々な顔を持っていましたが、日本でホモエロティックな写真を撮影した初期の写真家の一人でした。彼はフットワークの軽い写真家で、衝動に駆られて2000人もの男性の裸体を撮影し、個人的な欲望のアトラスを作成した人物なのです。増塩は、今は歴史となったこの人物の謎を解き明かそうとするのではなく、彼の人生と仕事を儀式的になぞる(あるいは繰り返す)ことで、ある可能性という円谷の亡霊を出現させます。そしてそれは、彼自身の身体という変化し続ける媒体を通して行われます。
この方法は増塩の、円谷のアーカイヴ写真を再撮影した写真を一枚ごとに詳細に黒鉛でなぞり、一連にドローイング化するというシリーズに顕著に見られるます。この濃密な(再)創造の行為によって、写真のネガだけでなく、遠い過去に円谷の網膜の表面(つまり円谷の細胞の化学反応の中)に刻まれた反射光が、増塩自身の神経系や筋繊維を通り、温度や組成の変化していく様子が想像されます。原画に対するある種の中立性とリアリズムへの忠実さへの徹底したこだわりは、二人の“俳優”の間にある埋めようのない空間、つまり思考によってのみクリアできる溝という、本質的な乖離を浮き彫りにしています。このようにして生まれた作品は、絶妙なパリンプセストであり、時間を超えたハイブリッドで重なり合う存在から発せられるものなのです。エンヤ-マスシオ/マスシオ-エンヤ、のように。
この二重化のプロセスは、本展の他の作品にも見ることができます。一連の静物画は、現実と想像の両方で、はかないものや出合いのあったものを記録しています。あるものは、増塩が円谷のいた街を“巡礼”して集めたもので、半ば記憶に頼った逸話や住所を携えて、かつて円谷が住んでいた空間に自分の存在を重ねようとしたものです。一方、あるものは、生のほんの一瞬を占めていたかもしれないと想起させる家庭内の小道具で、純粋なフィクションと言えます。文脈を排除されたこのような粗末でありふれたも日用品は、本展で最も過激に露出した、つまりエロティックなイメージの一部です。安価な石鹸、サッポロビールの空き瓶、ボールの中の玉子ガニなど... 一見シンプルでどこでも買えるようなものには、潜在的な意味の集合が隠されています。それらは、円谷が過ごした昭和の物質的文化のフィクショナルな記録であると同時に、写真という媒体に対する内在的な視線による解釈であり、淫靡な内輪ネタのようでもあります。形象化を避けながらも、不在の身体のリズム、強迫観念、必然性へのある種の接近や親近感を暗示しています。
もうひとつのシリーズは、朝顔を描いたものです。“朝顔を育てる”ということは、日本の小学生にある種の国民性や美徳を教える道具としても使われています。増塩の他の静物画と同様に、被写体の文化的な普遍性や一見したところの白々しさは、他の潜在的な意味のカモフラージュとして機能しています。朝顔は日中に開花し、夜になるとしっかりとつぼみを閉じますが、増塩はこの花のサイクルの後半を撮影していて、我々にこれらの閉じた花の内部に発生する目に見えない運動を仮想・先見させ、閉じた個体それぞれが能動性を持つポテンシャルとして形成されます。この密閉された蕾(つぼみ)は、社会的な役割を果たすために体現された時間という考えと、同時に、私的な世界の維持という考えの両方、そして、円谷自身だけでなく、リビドーの経済的な流れと存在様式全体を示唆しています。この花をこっそり覗き込み、その夜の微細な動きを注意深く捉えることで、増塩は存在と不在、隠すことと明かすこと、表現と解除というふしだらな弁証法へと目を向け、視線やしぐさや見方といった単純なものによって、宇宙の発端が至る所に隠されていることを我々に気づかせるのです。
Empty Gallery | 2020年12月23日〜 2021年3月20日
Taro Masushio
増塩太朗はニューヨーク在住の作家。カリフォルニア大学バークレー校(UCバークレー)にて学士号、ニューヨーク大学で修士号を取得、カーラ・ブルーニ・サルコジ財団より奨学金を受け、パリ第1パンテオン・ソルボンヌ大学で1年間を過ごす。現在、UCバークレーで講師を務める。増塩の制作は肉体的な性や性行為などの経験や歴史・個人史を素材として媒介する傍で、アートにおいての突飛であり直感的な物理世界の創造、つまり時間や空間の在り方とその意識の可能性を提示する。近年はEmpty Gallery(香港)、 47 Canal(ニューヨーク)、 Capsule Shanghaiなどで展示。また執筆も行なっておりArtforumやArtAsiaPacificに寄稿している。
\ 作品公開記念トーク /
増塩太朗(作家) x 潟見陽(loneliness books)
2021年6月18日 午後10時より生配信
*配信URLおよび記録映像は、下記Peatixページ(映像パスワード所得のページと同じ)で登録された方にお送りします。
https://rumor.peatix.com/
・このページは、香港のEmpty Galleryで2020年12月23日〜2021年3月20日に行われた展示をノーマルスクリーン(本ページ)で公開のために作家が特別に再構成したものです。
イベントページはこちら:http://normalscreen.org/events/rumorhasit