クィア特集 at ひろしまアニメーションシーズン2026
/以前から行ってみたいと強く願っていた[ひろしまアニメーションシーズン2026](HAS 2026)に行ってきました。ついに!
広島に新幹線で着くなり、駅が新しくなっていて路面電車が駅内に乗り入れていて未来都市のよう! そんなことを思いながらダッシュで会場のJMSアステールプラザへ。急いでいた理由は、井上涼さんのコンサートを見逃したくなかったから。
冒頭を逃すも会場にカバンを引きずりながら滑り込むことに成功。[びじゅチューン!]で人気になった作品の映像を流しながら井上さんが生で歌い踊り、ほぼ満席の会場も大盛り上がり。途中で[やる気あり美]で発表していた『確信』も披露。「ゲイ」という言葉もはっきりと歌詞に含まれるこの歌を広島のこどもたちと同じ会場で聴いているという事実を考えると胸が熱くなりました。
この日は、午前にも同じコンサートを行っていた井上さんでしたが、井上さんが客席に降りてきた時にはお客さんもさらに大盛り上がり。目の前の井上さんに嬉しそうに手を振る子どもたちを最後列から見て、また保護者目線?で涙しそうになったりしました...。
他のプログラムでも、小学生〜中学生くらいの観客が多い上映もあったようですが(すばらしい!)、多くの作品は、しぶかったり怖かったりシュールだったりで、大人向けという印象。感動的なものもたくさん鑑賞できたのでこちらで紹介しますが、もちろん私はクィア作品をたくさん観たいと思っていて、そこに焦点をあてたプログラム「クィア・アニメーション・スクリーニング +」について中心に紹介します。
[クィア・アニメーション・スクリーニング +]は、アニメーション作家の矢野ほなみさんがキュレーターを努めた国際的な短編集のプログラムで、8月20日(木)の昼に行われました。新作『エリ』が[カンヌ国際映画祭2026]独立部門の監督週間で世界初上映されるなど目覚ましい活躍の矢野さんですが、ノーマルスクリーンでも作品を上映させてもらったことがあるだけではなく、この[クィア・アニメーション・スクリーニング +]の前身となるイベントを2019年に横浜で共催しています!
その後も矢野さんはクィア/アニメーションの研究を続けながら知見を深めており、HASでのクィアプログラムも3回目! 2026年は以下の作品が上映されました。
『関係の譜』はノーマルスクリーンでも2025年に東京で上映していますが、その時よりも丁寧な日本語字幕が付けられており、私は「東京で観てくれたお客さんごめんなさい」と思いながら鑑賞しました....が、そんなことより、同時代の世界のクィアの人たちのアニメーション的な表現をこうやってまとめて観られることにまず大きな喜びを感じました。
制作歴の短い作家もふくまれ、映像的な強弱はあるのですが、絵のウマいいたヘタだけではない魅力、強さ、手法の多用さを示すことに重きを置いたことがわかるセレクトで、アニメーションやクィアの複雑さや自由さをしっかりと感じられました。
(HAS提供写真)
上映後は簡単に、ここでいう「クィア」についての説明と「アニメーション」との親和性や「アニメーション」のクィア性、それらの可能性について説明がされました。(英語の逐次通訳付き)
プログラム説明には、以下のように書かれています。
今回のクィア・アニメーション・スクリーニングでは、クィア表象や当事者経験の蓄積を前提にしながら、変形や反復、逸脱といった運動に注目し、クィアを語ろうとする作品群を紹介します。
アニメーションとは、切断された1フレームから次のフレームへと身体が描き直され続ける技法であるとも考えられます。 その原理はすでに「正しい身体」の幻想を問い返し、そこで目撃されるのは、完成した形ではなく、変容の連続です。
規範的な身体、規範的な欲望、規範的な時間。アニメーションというメディアには、それらを揺るがし、クィアな知覚を拓く潜在性があります。その可能性について、本プログラムを通して提案します。
詳しく1作品ずつ矢野さんの見解が示され、さらに各作品の監督が矢野さんの質問に答えるビデオが流されました。
監督への質問は、導入的なものはなく、「(作家による作品説明文にある)「クィア現象学」という理論を、実際の空間としてどう表現したのか?」など鋭いものが多く、監督たちもそれぞれのスタジオや自宅から熱心に答えたり、監督によってはビデオに作品の抜粋を挟み込む人もいたりしておもしろかったです。
ビデオは各3分ほどだったにも関わらず、濃密な内容で、作品の世界に引き込まれて私の考えが及ばなかった、コンセプトや手法についても説明され、監督と一緒に作品を振り返っているような気持ちになりました。
ジュンジェさんは自身の体験を、ルベさんは作品がリマスター版だったため制作時との現在の時の流れを含んで話したり、デ・ラ・フエンテさんは自分が触れてきたゲームや映画の空間的考察をアニメーションの技法やツールの関係性などという本作の基盤について話してくれました。
監督たちが会場に来てくれていたらもちろん嬉しかったけど、編集され凝縮されたビデオだからこその濃さだったと思います。全員が英語で話し、英語の字幕が付いていたのですが、字幕はそれぞれのビデオに合わせた色や書体になっていて、「矢野さんどんだけ頑張る?!」と唸ってしまいました。
後日、矢野さんにこのQ&A部分についてお話を伺いました。
特に印象に残っている監督とのやりとりは、クリスティーヌ・ルベさんにこの作品の主題を描くことの意味やその行為についての質問とそれへの答えだったそうです。
矢野さんは以下のように説明してくれました。
『落下』では、奴隷制と植民地主義に抵抗したクィーン・ナニーの記憶と、その精神を受け継ぐシモーヌ・ハリスの語りが重要になります。
そこで、歴史上の人物や、受け継がれた記憶を「描く/表象する」ことだけではなく、「召喚する」こととして捉えられるのではないかと尋ねました。
その問いに対して監督は、クィーン・ナニーが葬られ、シモーヌの一族も暮らすムア・タウンを訪れたものの、適切な映像表現を見つけられなかったこと、そこから音響制作に立ち戻ったことで「カモフラージュ」という映画の核心にたどり着いたことを話してくださいました。
さらに、後ろ向きに進む足取り、「ナニーの鍋」、葉の茂みに身を隠すことなど、「痕跡を残さない/痕跡を惑わせる」というマローンの戦術が、アニメーションの動きや画面そのものに変換されていることが明らかになりました。
最終的に、映画が日食から始まり、そこから『The Fall』の世界へ入っていくという構造までお話しいただけたのは、この質問から引き出せた非常に興味深い部分でした。
クィア・アーカイヴの話とも繋がるような気もするし、音やそのデザインに圧倒される作品がHASで多かったことも連想します。
矢野さんは自ら今回のプログラムを振り返り、「今回のインタビューで聞きたかったのは「この作品はクィアですか?」ということではなく、それぞれの作家が、身体や欲望、記憶、可視性、空間といったものを、アニメーションという方法によってどのように揺り動かしているのかということだった」と教えてくれました。
[クィア・アニメーション・スクリーニング +]以外でも、矢野さんの『エリ』やタン・ウェイ・キョンさんの『幸せ以上』(SSFF & ASIA 2026で日本初上映)、
フィリピンのアヴィッド・リオンゴレンさんの『シャシャ・ザトゥーナ』などが上映されていました。
短編コンペティションのノミネート作品を3プログラム鑑賞しましたが、その他の作品でも恋愛関係/感情ではない物事を描いている作品が多く、時間や死など哲学的な問いや、他者や自然との接触の瞬間を独創的に描いている作品が多く、「私はこの世の不思議をまだまだちゃんと見ていない...」なんて思わされました。逆にいうと「アニメーション作家たちは、見ている...!!」とも思いました。
アニメーションといってもいかに多様か、ということをあらためて見せつけてくれる映画祭で、このように分野?を区切った?映画祭の重要さをあらためて感じました。(アルモドバルとドランを数本観て「ゲイ映画」の話はできないですもんね...)
そして、鑑賞の合間には広島の川を眺めてのんびり...というなんとも贅沢な時間でした。
隠れているクィア作品を探す楽しさも大きな映画祭にはありますが、その中で明確にLGBTQに触れているプログラムやプログラム説明があることは、東京や大阪のような大都市以外の地では非常に意義深く、勇気づけられるとあらためて思いました。
朝9時からの短編コンペ参加作家のトーク。話しているのがタン・ウェイ・キョンさん。
日本の作家によるプロジェクトのピッチ会も覗きました。どれもとっても面白そう!こちらでその作品が確認できます。https://new-new.jp/
南家こうじ特集に合わせて展示されていた『あんみつ姫』!子供の時観てた(涙)(写真はHAS提供)