台湾実験映画・その現在:参加作家紹介+作品解説



2020年10月3日~9日に東京渋谷のシアター・イメージフォーラムで行われた台湾実験映像特集で配布した資料で掲載したテキストを公開します。作家プロフィールと作品解説は作家から提供してもらったものを 翻訳しました。一部で情報の省略、アップデート、追記をしています。
イベント概要:http://normalscreen.org/events/taiwan2020

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台湾新実験電影:ひしめきあう地盤の端のこどもたち
Children on the edge of itchy-tectonics : Taiwanese New Experimental Films
キュレーション:吳梓安(ウー・ツィアン) 9作品|合計80分

私たちの組曲(《隱沒帶》:〈我們的組曲〉)
雪克 |2016年|カラー|FHD|7分36秒|台湾
台湾のユニークな景観と地理的歴史は、本作のテ ーマである。ユーラシアプレートがフィリピン海プ レートとぶつかる(地盤の)沈み込み帯(サブダクシ ョンゾーン)に位置する台湾の島は、地盤沈降流の 結果、独特な地形を発展させてきた。同様に、台湾 は世界的な地理においても政治権力の境界線に 位置している。そして、見えにくい勢力は、政治、経 済、文化、イデオロギーの地勢により動き、国民のア イデンティティを形作ってきた。 このテーマで作る3作目となる本作『私たちの組 曲』は、台北市立復興高級中学の生徒と共同で制 作した。私たちは軍のパレード(今でも台湾の学校 行事では、軍のパレードを真似ることもある)から いくつかの歌を物語化し沈み込みの過程によりう まれた利吉悪地で撮影した。台湾における文化と 教育を表現するために参加した生徒たちは、彼ら の世代と文化的アイデンティティを表すこれらの歌 を彼らなりに解釈しなおした。それはこの撮影の舞 台が、台湾の地理的変化を表出しているからだ。

雪克/シェイク
パリ・セルジー国立高等美術学校で上級国家造形表 現学位(DNSEP)を取得し、後にパリ第8大学でMFA 美術学修士を取得。シェイクは、映画に関する執筆や アジアにおける個人史、文学、ポピュラーカルチャーの 地政学とアーカイブに関するリサーチを通して制作活 動をしている。他に映画の言語、象徴、表象のシステム におけるナラティブの実験について、また、集団的/個 人的記憶の関係と構築に強い関心をもつ。

ある短い歴史(短短的歷史)
徐璐 |2017|カラー&白黒|16mmフィルム2画面投影を デジタル変換|3分25秒|台湾、米国
アジアの小さな島にある国家の集団的記憶とアイ デンティティの危機を反映した、英語の児童書のナ レーションによって語られる寓話である。発見され た二つの16mmフィルムのリールの間を行き来し て、島そのもののイメージではない二つの映像が 投影される。

徐璐/エリカ・シュー
台湾で育った実験映像作家。2016年にニューヨーク へ渡り、セルロイドフィルムやインスタレーション、そ してエクスパンデット・シネマパフォーマンスを開始。 彼女の作品はトロント国際映画祭、ロッテルダム国際 映画祭、Crossroadsフィルムフェスティバル、EXiSフ ィルムフェスティバル、マイクロスコープ・ギャラリー、 フィルムメーカーズ・コーポラティブ、そして2018年の 台湾ビエンナーレの本プログラムで上映。現在ロサン ゼルスに在住し、カリフォルニア芸術大学にてMFA課 程でフィルムとビデオを学んでいる。

劣化の小史(解體概要)
林仕杰 |2014|カラー&白黒|HD|5分55秒|台湾
歴史とは、直線的な記号とシンボルで構成された 一つの解釈である。記号を脱文脈化することで、イ メージはこの因果関係の幻想から解放される。幻 想と闘うためには、欠陥を存在させる必要がある。 この映像は、第二次世界大戦後の台湾の植民地化 の歴史と米軍の設置を紹介する、70年代の米軍の プロパガンダ映画『Assignment Taiwan』からサン プリングして制作されている。

林仕杰/リン・シーチェ
台北を拠点として活動しているオーディオビジュアル アーティストであり、映像作家。カリフォルニア芸術大 学でMFAを取得。作品は、音とイメージから現実とパ ラレルワールドを映すことで、現実と神話や民話、そし て空想の世界を混ぜ合わている。

外部信号の解読(解密外訊)
陳瀅如,洪子健 |2010年|白黒、サウンド|DVCPRO HD|16分 40秒
解読された異星人の環境メッセージ。催眠術的実 験映画として構成される本作は、異星人の再来と 地球の再植民地化を力強く詩的に警告している。 スティーブン・ホーキング博士は「もし異星人が我 々を訪れることがあれば、クリストファー・コロンブ スが アメリカに上陸した時と同じ、つまり、アメリカ 先住民にとってはいい結果を及ぼさなかったのと 同じことなるだろう」と述べている。この場合、原住 民とは誰を指すのか?

陳瀅如/チェン・インジュ
社会の権力と歴史を宇宙論のシステムを通して解釈 する彼女は、占星術や神聖幾何学そして錬金術の記号 を利用しながら、人間の行動やナショナリズム、帝国 主義、国家による暴力、全体主義、ユートピアの形成、 そして集団的思考について考えを巡らせている。最近 では、スピリチュアリズム/シャーマニズムの実践によ る物質的効果と意識の形而上学的可能性について探 究。これまでに国際的なビエンナーレ展に多く参加。 2015年には台湾で、2016年にはサンフランシスコの KADISTで個展を開催した。

洪子健/ジェームズ・T・ホン
台湾拠点の映像作家でありアーティスト。 示唆に富 み、型破りでそして時に論争を引き起こすフィルムや ビデオ作品を20年以上制作。彼はハイデガーやスピ ノザ、日本の生物戦争、そして人種差別についての作 品をプロデュースしてきた。現在は東アジアにおける 道徳概念について調査を行っている。彼の作品は台北 ビエンナーレやメディアシティー・ソウルビエンナーレ などの展覧会のみならず、ベルリン国際映画祭やアム ステルダム国際ドキュメンタリー映画祭など多くの映 画祭そして展覧会に選出されている。 日本では、イメ ージフォーラム ・フェスティナル2016で長編『テラ・ ヌリウス:ナショナリストになる方法』が上映された。

プロキシー オブ ヘヴン(Proxy of Heaven)
吳梓安|2015|カラー&白黒|Super 8mmデジタル変換|7分31秒|台湾、チェコ共和国、フランス
チェコ、フランス、台湾の異なる宗教空間の観光イ メージを記録し、探求し、コラージュする。 これらの聖なる体験の通路を通り抜けること、"メメ ント・モリ"を目の当たりにすること、そして幸福へ の欲望が、私たちを世俗的な人間の世界に連れ戻 す。

吳梓安/ウー・ツィアン
実験映像作家。異質なイメージや音やテキストを操り、 ナラティブと自己の構築について問う。近年は、主に Super 8や16mmフィルムの技術を使う。一方、アナ ログとデジタル技術、そしてその2つが両立したヴィ ジュアル作品や再生産にも関心をよせている。本プロ グラムのキュレーター。

名付けられるもの(待以名之的事物)
黃亞歷 |2010|カラー|16mmからデジタル変換|14分|台湾
本作は、聞いたものと見たものの間にある視覚的 な詩と、因果関係に基づかない官能的な流動性の 上に構築されている。詩的なイメージを幾重にも 絡ませていきながら、モノを生の状態に戻し、観客 の意識をモノの細部にまで誘導することで、現実世 界のモノに定義されている実用性や機能性を捨て る。

黃亞歷/ホアン・ヤーリー
インデペンデント映像作家。イメージと音の繋がり
に 関心をもつ。近年は、日本統治下の台湾についてのド キュメンタリーに関わり、歴史調査と考察をドキュメ ンタリーというメディアを通し現実を解釈する可能性 を探っている。そして、台湾、アジア、世界の関係を反映 しようとしている。監督、プロデューサー、撮影を手が けた2015年の長編ドキュメンタリー『日曜日の散歩 者 わすれられた台湾詩人たち』はダゲレオ出版により 日本でも配給された。

移動された?(被移動的嗎?)
葉覓覓 |2012|カラー|16mm & super 8mmからDV変換|11分|台湾
本作は、移動している状態、移動させられている状 態をテーマにしている。人が自分を運ぶために船 を作るとき、人が後ろ向きに歩き始めるとき、神々 が人を導いて地球を歩むとき... 途切れのない移動 の中で、誰もが誰かの「遠い人」になることは出来 るのだろうか。

葉覓覓/イエ・ミミ
台湾人の詩人であり映像作家。国立東華大学の文芸 学科とシカゴ美術館附属美術大学の映像学科で MFAを取得。彼女は3冊の詩の作家であり、彼女の詩 の映像作品は国際的に展示されている。言葉とイメー ジをコラージュすることで、詩とイメージの制作の境 界を無くすことを目指した新しい景色を作り出してい る。彼女の作品の本一冊分の厚さにわたる翻訳がオラ ンダ語と英語で存在する。

リフレクト(Reflect)
許岑竹 |2010|カラー、サイレント|16mmからデジタルビデオに変換|4分|台湾、米国
この映画は、時間による変化と監督のシュー・チェ ンチュが住む場所で観察した光と反射をテーマに している。映画に感じられる親密さは、個人的な場 所で撮影されたことや、そこで起きる些細なことに 因るだけでなく、監督自らが撮影、手加工、編集と いう制作のすべての過程に、直接関わっていること に由来する。制作後半の段階では、映像素材の中 にある隠れた意味合いを発見し、それを利用して 新鮮なビジュアルファブリックに織り上げるため、 個々のショットの本来のリズムを崩して、それらの 間にある模様、形、色調の共鳴を探した。これは手 作業で加工した映画である。

許岑竹/シュー・チェンチュ
1985年生まれの実験映像作家。台湾の国立清華大 学で原子力化学の理学士号を取得し、サンフランシ スコ・アート・インスティチュートでMFA(美術修士号) を取得。 日本の作家とも交流がり、2019年の来日時には、 Spice Filmsとイメージフォーラム映像研究所のイベ ントで作品の上映とフィルムを使ったワークショップ を行なっている。

瞬。光
曾莉珺 |2017|カラー&白黒|35mm / dolby SR|20分|台湾、オランダ、ポルトガル
フェルナンド・ペソアの『不穏の書』の個人的な観 察と、彼の100年前のリスボンの都市ガイドに触発 されたこの映画は、時間についてのオーディオ・ビ ジュアル調査であり、時間の異なる視点、時間の経 過、経験、心、空間における時間のズレを研究した 視覚的な詩である。時間の流れは、現在と過去の間 の会話と接続によって生み出される。

曾莉珺/ツァン・リーチュン
1979年うまれ。2007年よりオランダのロッテルダム 拠点。作品は、人生の生命に関わる側面の経験に関心 を寄せている。その全体を吸収し取り入れることは、 彼女にとって探求であり熟考であり、根本的な動力に なっている。ここ数年は、主に16mmフィルムで昔なが らの映画作品を、そして複数のプロジェクションによ るインスタレーションも制作している。

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迷い子のリボン:吳梓安(ウーツィアン)自選作品集
Ribbons of A Stray Child: A Tzu-An WU Self-Select Program

知らない世界を覗き込む私は出口を探し求め

左も右も分からないまま立ちすくんだ

< ステートメント >
記憶がなければ人間は一貫したアイデンティティを形成することはできない。そして私たちが観たり作ったりしてきた映画は、それぞれの異なる自己に繋がるリボンや紐である。この作品集は、アーティストとして、そして実験映像作家としての異なる私のコレクションだ。感傷的であったり分析的であったり、混乱していたり捉えどころがなかったり、秘めごとだったり。内向的であったり外に目がいっていたり。自己と世界に対する個人的なヴィジョン、それがいつも私にとっての映画制作の始まりの場所なのだ。

タイトル「迷い子のリボン」は丸尾末広の「少女椿」が原作のアニメ映画『地下幻燈劇画-少女椿』のエンディング曲の歌詞より引用。音 楽 :J・A・シ ー ザ、歌詞 : 丸尾末広 。

吳梓安/ウー・ツィアン :台湾出身。国立清華大学でジェンダーとカ ルチュラル・スタディーズを専攻し学士を、 ニューヨークのThe New Schoolでメデ ィアスタディーズの修士号を取得。作品を 国内外で発表してきた。これまでに、ロンド ンLGBTQ映画祭BFI Flare、ロッテルダム 国際映画祭、ベルリンのExposedクィア国 際映画祭、台北の金穗獎映画祭(Golden Harvest Film Festival)などで上映され、 パリのFestival of Different and Experimental Cinemaでは、審査委員 賞を受賞した。作品は台湾ビエンナーレ、 マニラのメトロポリタン美術館でも展示さ れた。台湾のアーティスト&キュレーター による映像コレクティブThe Other Cinemaのプログラマーでもあり、特集は 台湾のみならず、ニューヨークやパリで上 映。この度、上映の「台湾新実験電影:ひし めきあう地盤の端のこどもたち」は同団体 によるプログラムである。

月句 / 日食
(Moon Phrases / Solar Eclipses)
2018 | 2分46秒 | 16mmをデジタル変換
一ヶ月間、私は窓から月のフレーズを撮影した。撮 影するという行為は、測定する行為でもある。新月、 満ちていく月、満月、欠けていく月、そしてまた新月。 月の満ち欠けは撮影のリズムのように変化していく。 そして、これらの不均一でゆらぎのあるイメージを、 視覚的な音楽のフレーズに構成していく。 午後の日食の記録。ネガフィルムとリバーサルフィル ムの両方のストックを使って、異なるフィルターと多 重露光を使い、覆われた黒い太陽のスケッチを構成 していく。

Quousque eadem?  (日常日長)
(Quousque eadem?(Or A Self-Portrait ) )
2012 | 9分03秒 | デジタル
カメラを持っているということは、見え方の変化、知 覚の歪みを意味する。それは中間の不透明な状態 である。このようにして作られた映像もまた、日常生 活や自分自身への認識のように、そのままでは透明 ではなく、変化しながらも繰り返されるものである が、それを決定づけることは難しく、行き詰まってし まう。 この作品は、あるひとりの人間のホームビデオであ り、個人的なプロジェクトとしてスタートしたもので、 わたしの人生のある段階を表現し、自分のためだけ に制作された。しかし、改めて制作に取り掛かる中 で、当初の目標を変更した。ナレーション、HD映像、 デジタル化されたスーパー8mm映像素材を用いて 再構成し、(擬似的な)ビデオ日記を、視覚、記憶、映 像(再)制作のプロセスの相互関係に対する私の考 察を題材としたビデオ・エッセイへと変貌させる。 引用文献には、エミール・シオラン、ジョナサン・クレ ーリー、陳傳興の名前があがる。

宣(言)病
(宣(言)癖 Disease of Manifestation)
2011 | 9分01秒 | デジタル
本作は、ウェンディ・ブラウンの論文『Resisting Left Melancholy』から始まった議論である。彼女 はウォルター・ベンヤミンの「Left Melancholia」 の概念を応用して、左翼運動/理論の伝統にある 政治的思考や規範をメランコリアの概念として捉え た。そこには失われた対象として見ることができる 思考のthingnessがある。この考えを拡張すると、 人の個人的または集団的な記憶から来る思考の thingnessは病的な執着になる可能性がある。

We can't grow up together
(2010, 2013 | 3分33秒 | 16mmをデジタル変換)
時間の中で失ったものが違うから、わたしたちは一 緒に成長できない。その時は、どうでもいいように思 える出来事も、個人的には重要な節目になるかもし れない。その記憶を語り直し、書き換えることで、無 意味な感情は流れるような記憶に変わり、保存する ことができるようになる。 本作は、幼少期の(偽りの)記憶を元に16mmで撮 影され、空想や象徴的なオブジェによって変容し、 公共の場で上演された。映画の中の要素は、感情と 時間を示すものであり、モンタージュによって、外の 世界と内なる風景が相互に行き交うようになっている。

この世の果ての細々したもの
(World's Odds and World's Ends)
2015 | 12分42秒 | デジタル
観光客の実験的民族誌。チェコの中世の町チェスキ ー・クルムロフでの観光活動の記録。タイムラプスと スローシャッターを用いて、一瞥したときに出会う 道や行動、顔の表情の繰り返しを撮影する。錬金術 のプロセスは、精神力動のメタファーであり、世界の 終わりに、the odds and endsこの世の果ての中 で自由を求める彼らの不運な探求である。

一つの乙女の祈り
(A Maiden’s Prayer)
2017, 2020 | 5分55秒 | Super 8, 16mmをデジタル変換
亡くなった友人の思い出のために制作された作品。 彼の詩によって構成され、日記フィルム、遺跡訪問、 半即興劇場のような彷徨う断片が遠く離れた記憶 の記念品を捏造する。記念すべきものは、あなたの 「メメント・モリ」である。一方、千層もの「ATフィー ルド」(絶対恐怖領域)の中央では、一人の乙女が祈 りを捧げている。魔法サークルに覆われ、誰も届か ない地下室で誰かが祈りを捧げている。「荒廃した 神殿」でも、「鳳学園」でも、あるいは我々の想像上 の共同体でも。その庭から、ゴミのトランクが「一つ の乙女の祈り」を歌っている・・・。
(鄭聖勳(1978-2016)の〈少女的祈禱〉を引用。)

伊人 わたしがずっと想う人
(伊人 Yi-Ren (the person of whom I think) )
2012 | 13分45秒 | Super 8をデジタル変換
この作品は、様々な情報源をコラージュしたラブレ ターである。様々な情報源とは、わたしのスーパー 8mmの日記、カラオケのビデオ、発見された邱剛健 (チュウ・カンチェン|1940-2013) の映画の素材 や詩のことを指す。この映画は、また、邱へのオマー ジュの行為であり、彼をクィアリーディングしたもの でもある。素材を再構築し、操作し、既製品と個人 的なものを一つに溶かす。あるいは、個人的な感情 や経験は、実はすべて誰かやどこかから借りてきた ものなのかもしれない・・・。「私の喘ぎは少しハリウ ッド的なところがある」というセリフが示唆するよう に、私たちの感情は演技や見た映画なしには存在し ないのだから。

スターゲイジング
(觀星 Stargazing)
2017 | 4分44秒 | 16mmを2Kに変換
ニュージーランドでレジデンシーを行った際、晴れて いてもいなくても毎日星空の写真を撮るようにして いた。星の写真は日記のように解釈できる。16mm のボレックスカメラを使って一コマ一コマ星を撮影 し、星の光に一致する光の不均一な衝動が思考とと もに変化していく。この映画は瞑想的なプロセスを 形成するために、関連する思考やインスピレーショ ンと共に、星を見るというウーの日常の儀式を記録 している。テキストでは、アレハンドロ・ホドロフスキ ー、ユージン・タッカー、ジャン・エプシュタイン、アー サーCクラークの言葉が引用されている。

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翻訳: 浜崎史菜 | 川上アチカ | 秋田祥

特集: 台湾実験映画・その現在
開催日:2 020年10月3日~9日 会場:シアター・イメージフォーラム
主催: ノーマルスクリーン
助成: 公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京
台北駐日経済文化代表処 台湾文化センター
協力: シアター・イメージフォーラム | The Other Cinema Collective | 吳梓安 | 小山ひとみ | loneliness books