愛と法とカメラと『Of Love and Law』ワールドプレミア
/2017年10月25日から11月3日まで行われた第30回東京国際映画祭で10本ほどの作品を鑑賞した。そのなかでも、この映画祭でワールドプレミアされた注目のドキュメンタリー『Of Love and Law』は上映後にQ&Aを行った劇場のエナジーに特別なものを感じさせられた。特別なものを観たという観客の高揚感とその映画に出演していた人々と制作者の心地よい緊張感は、映画祭最終日の吉報を予感させた。この作品は上映された日本映画スプラッシュという部門の作品賞を受賞した。
2014年に大阪のラブホテルを主題にドキュメンタリーを発表した戸田ひかる監督が次の被写体にしたのは、大阪で法律事務所をもち、本の執筆もしている南 和行(カズ)さんと吉田昌史(フミ)さん。彼らを頼る、現代日本の幾つかのマイノリティやマイノリティになってしまった人々が登場する。
冒頭に映るのは東京レインボープライドが行われる代々木公園。大勢のひとで賑わうカップルの手元。監督がアプローチするも、「顔出しムリ」と多くの来場者が言う。それはアウトしていない人が多い、いや、彼らがアウトできない現状を示す。この流れでどのように、イギリスから来た撮影クルーが「日本での生きづらさ」を描くのかな、と思ったのもつかのま、スクリーンには愛らしいカズさんとフミさん夫夫が生き生きと働くすがた。それを支えるのは南さんの母親ヤヱさん。冗談を言いながら、彼らが関わる案件とそれに関わる人々が紹介される。例えば、戸籍をもたないために夢も追えない人々、わいせつ罪で逮捕されたアーティストろくでなし子さんとそれを支えるチーム、国家斉唱での起立を拒否した先生など。カメラはそれぞれの職場や家庭に入り、被写体は裁判所では見せない顔を覗かせるため、ニュースの裏側を見るような面白さもある。
物心ついた頃には周りとの違いや不便を感じながら育ったカズさんとフミさん、そして戸籍のない人々はその状況に適応しながら生活を送っている。一方、同時に紹介される「君が代」のために起立を拒否する先生や ろくでなし子さんは表現について強い意識と意志を持っている。前者の先生は、自分のような人たちがすごい速さでマイノリティになっている、と危機感をつのらせる。自分の言動が抑圧される。自分の存在が消されてしまう。持っていないといけない緊張感がそこにはある。一方、主人公のカズさんとフミさんの私生活からはそういったものは見受けられない。もちろん彼らも自分たちのやりたいこと(手をつなぐ、結婚式など)をやり、助けが必要なひとの力になることで、意志表明や大勢に抵抗をしている。でも、穏やかな彼らの私生活だけでは映画は物足りないものになっていたと思う。
原一男監督の最新作や佐藤真監督作品の編集も手がけた秦岳志さんの編集も巧みで、多くのエピソードをカバーしながらも観客が混乱しないように構成されている。カメラは人々の魅力が伝わる表情を逃さない。映画は彼らが真剣に司法に立ち向かう姿や堅苦しい日本社会の側面を捉えつつ、ユーモアをわすれない人々の笑いを織り込みながら進行する。それは大阪の人が相手や場を想ってしょうもない冗談をいうときの優しさに似ている気がした。そして理不尽なおもいや悔しい思いをくりかえしながらも、国や権力に立ち向かう彼らの原動力が何なのかがみえてくる。登場人物が多く語られる問題も多いため、それぞれの問題や苦悩の深さや複雑さを掘り下げることはここではできない。でも映画はそもそもその問題を語ろうとしているのではない。そういう境遇のなかで生きる人々が強くいられる理由のようなものを映しだそうとし、それに成功している。
終盤、それぞれの問題が少しずつ解決し、映し出される淀川がすがすがしく見える。同時に、カズさんが救えなかったという自殺したゲイの若者の姿を、影をおもう。私たちが救えなかったゲイの若者。
裁判官も落ちたもんやなぁ!といったようなことをカズさんが言い、マイノリティに寄り添えない現代の司法を嘆くシーンがある。この作品は、そういう今だからこそ必要な映画なのかもしれない。『Of Love and Law』は私たちの「日常」を通し、日本に住む人々それぞれが「普通」を問うきっかけを作ってくれる。それぞれが自分の価値観を問えば何かが変わるかもしれない、そんなことを思わせてくれる映画である。
『Of Love and Law』は配給会社・東風により2018年に劇場公開が決定しています!