Being and Belonging イントロダクション

Introduction

Being & Belonging(在ることと属すること)は、HIVとAIDSをめぐる、十分に語られていない物語に光を当てる映像作品プロポーザルを求めるオープンコールとして始まりました。アーティストとキュレーターからなる審査員たち —エズラ・ベヌス(Ezra Benus)、ホルヘ・ボルデロ(Jorge Bordello)、ローラベス・リマ(Lauraberth Lima)、そしてニコ・ウィードン(nico wheadon)— が、AIDS危機に関する語りからこれまで排除されてきた声を集めることを目指し、届いたプロポーザルを品評しました。そうしてできあがったのが、ポピュラーカルチャーにおけるHIV表象とも、ここ数年間の私たちVisual AIDSの制作物とも大きく一線を画した、7本の短編映像作品からなるプログラムです。

すべての映像作品がHIVとともに生きるアーティストの視点から作られているのは、今回のプログラムが初めてです。世界各地の5カ国に住まう今年のアーティストたちは、1996年の抗レトロウイルス治療法 —HIVとともに生きる人々の生存確率を大幅に押し上げ、エピデミックにおけるターニングポイントとなった治療法— の登場後にHIV感染の診断を受けた者がほとんどである若い世代を代表しています。その映像作品の焦点はハッキリと「今この時」に絞られ、AIDS危機最初の数十年にしばしば重ねられる悲劇、喪失、あるいはヒロイズムのナラティブとは対照的な、幅広い現代の問題や経験が描き出されています。

Being & Belongingに含まれる映像作品のいくつかは、「Undetectable = Untransmittable(検出限界以下なら感染はしない)」という言葉を参照しています。この言葉は、抗レトロウイルス治療がうまくいけば、体内のHIVの量が他人に移しえないレベルまで減るという事実を反映したものです。このシンプルな事実は、HIVに関する活動や陽性者を支援する人々(HIV advocates)にとって、伝染の恐怖を鎮めるための強力なツールとなってきました。キム・ジェウォン(Jaewon Kim)クリフォード・プリンス・キング(Clifford Prince King)はいずれも、HIVとともに生きながら親密な関係性を築くことを詩的な形で振り返り、U=Uの時代に欠かすことができない新たなナラティブを確立しています。

抗レトロウイルス治療は非常に効果の高いものですが、世界各地のHIVとともに生きる人々の多くにとって、まともなケアはまだ手の届かないものです。今回のプログラムでフィーチャーされた国は(米国を除き)すべて国民皆保険制度をとっています。それでもなお、特許法や利益を優先する製薬会社がHIV治療薬の値段を大幅に吊り上げており、結果として一部の政府は、HIVとともに生きる人々やその他の「ハイコスト患者」に提供するケアの程度を落としています。今回のプログラムでは、コロンビア政府が提供する安価な薬の副作用として黄疸を経験しているカミロ・アコスタ・ハンターテキサス(Camilo Acosta Huntertexas)とサンティアゴ・レムス(Santiago Lemus)、そしてメキシコにおける植民地支配と薬へのアクセスの複雑な交差について考察するジョエル・サンポルテカ(Jhoel Zempoalteca)とラ・ジェリ(La Jerry)の声を聞くことができます。

Being & Belongingは、HIVに対する応答においてもっぱら統計としてしか表象されない —あるいはまったく描かれない— 様々な視点にも光を当てます。カミラ・アルセ(Camila Arce)は、アルゼンチンにおいて生まれながらにHIVに感染していた若き世代に声を与え、多くの仲間を殺してきた制度的ネグレクトに若者たちが立ち向かうさまを描きます。ダヴィナ “Dee” コナーDavina “Dee” Conner)は、カリン・ヘイズ(Karin Hayes)とともに、米国においてHIVとともに生きる黒人女性の証言をコラージュし、彼女たちが体験する医療への不信や露骨な差別、そして不可視性を省察します。またミキキ(Mikiki)は、注射薬使用をめぐる対話を新しい挑発的な枠組みで捉え直し、咎めと罰ではなく快楽とつながりを全面に押し出しています。 

Being & Belongingを形作る親密な一人称の語りは、見過ごされてしまうことの多い物語に深みと洞察を与え、HIVとともに生きつつも「ここに自分は属している」という感覚を作り出すために力を尽くしている人々の粘り強さと芸術性を具現化しています。7つの映像作品を通して見えるのは、アーティストとかれらのコミュニティが、ミクロとマクロの両レベルで —すなわちパーソナルな関係性において、あるいは政府の定めた構造と対極の位置で、さらには主流のHIV/AIDSをめぐるナラティブと対照的なところで— 自らの自主性を確立している様子です。

Being & Belongingは新たなイメージ、物語、感覚を見る人に届け、HIVとともに生きることの意味についての想定やそれらの経験の表象を攪乱します。これらの映像作品を見ながら、ぜひ考えてみてください— あなたがもつHIVについての知識はどこから来たのか、そしていったいそのどれほどが、今この時をHIVとともに生きている人の視点からのものなのか。そして生きられた経験の微細なニュアンスが語られる空間をつくり、今日HIVとともに生きている人々の感情の現実を進んで受け入れることで、どのような新しい可能性が開くのかを。


この文章は、テッド・カー、ブレイク・パスカル、カイル・クロフトがコレクティブのWhat Would an HIV Doula Do?とThe New School大学のテッド・カーの授業「Life During Memorialization: History and the Ongoing Epidemic of HIV/AIDS in the USA」で学生の意見を聞きながら作成された資料に掲載されたイントロダクション。それをノーマルスクリーンで翻訳したものです。(翻訳:佐藤まな)