Being and Belonging 作品詳細

ニューヨークのアート団体Visual AIDSによる映像集「BEING AND BELONGING」の作品についての情報とそれぞれの作品についてや作品をとりまく状況をより深く考えるためのヒントを紹介します。

Visual AIDSによるイントロダクション文章を読む

Santiago Lemus and Camilo Acosta Huntertexas
Los Amarillos

コロンビアではHIVと生きる人の多くが、政府から支給される低価格な抗レトロウイルス薬の副作用として、黄疸(目や皮膚が黄色くなること)を経験している。本作は、この副作用の結果として経験する疎外感や極端な可視性と向き合っている。 (Los Amarillosとは「黄色いやつら」の意)

二人は自分たちの身体の持つ“力”を通し、安価な抗ウィルス剤だからと言って苦痛やスティグマ化された副作用が伴う必要はない未来を目指し行動することを呼びかける。

・AIDS危機の初期には、HIVを持つ人を認識する身体的状態として、紫色の腫瘍ができたり顔が痩せ細る症状などが一般的にありました。病気や障害が目に見える状態になったとき、何が起きるのでしょうか?体内の症状や障害と外から見てわかる症状や障害の違いについて話してみましょう。健康を身体的な状態から名づけることによりどのようなことが待ち受けているでしょうか?

・あなた自身の薬との関係を考えてみてください。COVIDやサル痘のワクチン、PrEPや避妊薬、抗うつ薬や他の治療薬との関係はどのようなものでしょうか?薬を得るのにどのような難関がありましたか? 薬により自分自身の理解や他者とのつながり方は、どのように変化しましたか?

サンティアゴ・レムス Santiago Lemus (he/him) 自然のものやイメージや音を用いて、アート、自然、景色の関係性について表現するアーティスト。Tomamos la Palabra共同設立者。IG: @santiagolemuss 
https://santiagolemus.com/

カミロ・アコスタ・ハンターテキサス Camilo Acosta Huntertexas (he/him) 実験映像を主に制作するヴィジュアルアーティスト。House of Tupamaras共同設立者、パフォーマンスのコレクティヴStreet Jizzのメンバー。IG: @huntertexasvideo
https://huntertexas.tumblr.com/

 

Camila Arce
Memoria Vertical

本作監督のカミラ・アルセがアルゼンチンでHIVをもって生まれた自身の経験、そして南米で初めて抗HIV薬にアクセスできた世代として育った経験についての詩を届ける。

ビデオのなかで、アルシーは自分にも植え付けられた「苦しみ」や「死」といった語りに自分が括られまいとする姿が伺える。苦悩だけではなく、コミュニティの存在やプロテストや集いの場やアクテヴィズムも彼女を形作っている重要な要素であることもここではっきりと示される。(Verticalesは、母子感染を意味するvertical transmissionから来ている。)

・彼女はインタビューで「verticales世代」が大人と呼ばれる年齢になろうとしていると語っています。「親や保護者が私たちの代わりに話すのではなく、これは私たちが自分達のことを自分で話す初めての機会なのです。」と。

・アルゼンチンでは、現地のAIDSアクティヴィストの努力により、今夏、HIVとともに生きる人々の市民権を保障することや、女性や子どもに対する特別な保護を制定しHIV薬の国産化を提案する一連の新たな法律が成立しました。

カミラ・アルセ Camila Arce (she/her) アルゼンチンのロサリオ拠点のアクティヴィスト。27年前の出生時からHIVと生きている。IG: @sidiosa 

 

Davina “Dee” Conner and
Karin Hayes
Here We Are: Voices of Black Women Who Live with HIV

アメリカ人のダヴィナ “Dee” コナー は、1997年にHIV陽性の診断をうけた。それから18年間、自分以外にHIVと生きる人はいないと思い込んでいた。孤立と内在化したスティグマから前進しようとしたとき、ダヴィナはHIVと生きる他の黒人女性の人生を理解し始めた。ここにいる、彼女たちの声に耳を傾けてほしい。

ビデオでインタビューに答えているのは、Evany Turk、Stacy Jennings-Senghor、Acintia Wright、Alecia Tramel-McIntyre、Tamera Garret、Davina “Dee” Conner。彼女たちの声はHereWeAreVoices.comでもっと紹介されている。

・本作は共同監督であるコナーがHIVと生きてきた経験、そして彼女が長年続けているポッドキャスト番組 Pozitively Dee's Discussion をベースにし、発展させたものです。

・ビデオに登場した数人は、HIVに関する情報で黒人女性を見ることがなかったと語っています。あなたが見るAIDSに関するメディアなどでは誰について話され、誰が取り残されがちですか?メディアなどの表象(描かれ方やイメージとして登場することなど)は、あなたの体調や感情やメンタルにどのような影響を与えますか?HIVを持っていない人は、メディアなどでの表象は、HIVと生きる人々やその生活についてどのようにあなたの考えを形作っていますか?

ダヴィナ “Dee” コナー Davina “Dee” Conner (she/her) 1997年からHIVと生きるHIVエデュケーター、国際的に活躍するスピーカー、ポッドキャストホスト。IG: @pozitivelydee
https://linktr.ee/davinaconner

カリン・ヘイズ Karin Hayes (she/her) 受賞歴のあるドキュメンタリー監督、プロデューサー。IG: @karin_hayes

 

Jaewon Kim

Nuance

42枚の連なり合うイメージ。そこに韓国に住み、HIVと生きるアーティストと誰かの対話のような考えや思いが耳元でささやくように読まれる。それは、間、陽性/陰性、安全/危険などの差異などについてのようである。

本作はU=Uの単なる科学的な根拠をこえた、異なったHIVステータスを持つ2人の関係(serodiscordant)の心理的な本質を捉えようとしている。さらに、たとえ信頼できる療法があってもスティグマが蔓延している状況では、つながりが断ち切られることもある現実を見つめている。

・キムは見えるものと見えないものを非常に精密にコントロールしています。二人の登場人物の身体は、ビデオにはほぼ出てきません。キムはアーティスティックな方法として、不在と不透明をどのように使っていると思いますか?このような表現/手法により、直接的な描写や可視化することではできない、どのようなことを可能にしているでしょうか?

・もう一度鑑賞して、本作のヴィジュアルと音と言葉がどのような関係にあるのか、新たに気づくことがあるか考えてみてください。

キム・ジェウォン Jaewon Kim (he/him) ソウル拠点。クィアの人々やHIVと生きる人々の人生についてビデオ、写真、インスタレーション作品で表現する。IG: @etc.1
https://linktr.ee/jaewonkim

 

Mikiki

Red Flags,

a love letter

ドラッグを楽しむ集まり(キメセクなど)の参加者の、不協和音的に並ぶ身体のイメージや音。カナダのアーティスト、ミキキが他のドラッグユーザーと“薬物は害でしかない”という既成概念をこえて(快楽や帰属について語るときには、さらに語られることは少ない)薬物使用の快楽を伝える方法について他のドラッグユーザーと語る。

ミキキは本作のために何人もの友人たちを撮影しインタビューも行った。しかし、薬物注射をとりまくスティグマがあまりにも大きいため、実際に出演の許可をしたのはそのうち2名だけだったという。声が使用されているのはジェームズとアリだ。彼らは、世間が「ドラッグユーザーがなぜドラッグを使用するのか」を理解しようとするよりも罰する傾向にある点について語っている。ジェームズは鑑賞者に「good addicts」になるためのツールを人々に渡したら何が起こるかのかを考えるように訴えかける。

・あなたが生きてきたなかで受けた、ドラッグに関する世間からのメッセージ(教育や広告や周りの声など)について振り返ってみてください。覚醒剤、大麻、アルコール、カフェインなどのリスク、責任、危険性についてのメッセージにはそれぞれ違いがあると思いますが、何がその差異を生むのでしょうか?

・ドラッグを使う人々は長い間、AIDSアクティヴィズムの先陣をきってきました。注射針の交換プログラムや安全にそれが利用できる場所を作り、ドラッグユーザーのコミュニティはハームリダクションをひろめました。

・覚醒剤を使用するゲイ・バイセクシャル男性を対象としたカナダの調査研究報告書を日本語に翻訳したパンフレット「クリスタル メタンフェタミン プロジェクト」も読んでみてください。当事者へのインタビュー、治療や支援における「提案」も掲載されています。

マイキキ Mikiki (they/them) アカディア/ミクマク族とアイルランド系にルーツをもつパフォーマンスおよびビデオアーティスト、クィアコミュニティのヘルスアクティヴィスト。オックダーハムグック(Ktaqmkuk)(カナダのニューファンドランド島)出身。IG: @mkkultra
https://menshealthproject.wixsite.com/mikiki

 

Jhoel Zempoalteca and La Jerry

Lxs dxs bichudas

本作は、人種間(スペインの白人と先住民)の融合という幻想を強調する植民地的思想であるメスティサヘ(mestizaje)というコンセプトを批評し、メキシコ社会において黒人や先住民たちが人種階級というものの中で底辺におかれている実状を指摘している。

このビデオでは、アーティストの2人がメスティサヘという“プロジェクト”における自分たちの位置についても考察している。1つ目のダンスの終わりに、ラ・ジェリーはマスクを取る。これは、白人性からの脱却を意味している。ラ・ジェリーより肌が白いサンポルテカは、ビデオの最後まで仮面をつけたままだ。重要なシーンで、彼は、先住民サポテカ族の言葉で話す母親の言葉と重ねながら、自分の“白さ”を直視する。

仮面を外したサンポルテカは、ラ・ジェリーとともに最後のダンスを踊る。彼らは大地から錠剤のボトルを「収穫」し、HIV感染者に充分な薬の提供をしていない政府に対する運動に連帯する。彼らは、自分たちの肌の色の違いを無視するのではなく、白人性との多様な関係を認める新しいかたちの関係を構築しようとする。

・ビデオの冒頭に登場する壁画は、公共の場に存在するもので、1519年にスペインがメキシコに侵略してきた状況をDesiderio Hernandez Xochitiotzinが描いたものです。ヴォイスオーヴァーは、征服者(コンキスタドール)がどのように先住民の文化を分断しつつも選びながら彼らの社会に融合させ、権力を増していったかを説明しています。この植民地化による分断や階級を生んだことにより、現在のメキシコやラテンアメリカでHIVと生きる人々はどのような経験をしているのでしょうか?

・メキシコの先住民にHIVがどれほど広がっているかについての調査はあまりありませんが、このエピデミックにより、かなりの影響を受けていることは知られています。ことばの壁の問題が大きいことが原因としてあげられますが、メキシコでは先住民により多くの言語が話されているにもかかわらず、ヘルスサービスはスペイン語のみで予防の情報を提供しています。

ラ・ジェリ La Jerry (they/them) メキシコのフチタンで生まれ育ったノンバイナリーのフォークダンサー。IG: @__lajerry

ジョエル・サンポルテカ Jhoel Zempoalteca (he/him) メキシコのトラスカラ出身のヴィジュアルアーティスト、エデュケーター。 IG: @jhoelze

 

Clifford Prince King

Kiss of Life

アメリカで数名の黒人の人々がHIVと生きることについて正直な会話をしている。公表、拒絶、自分を愛すること。それらが映像詩と夢のような情景とともに描かれる。年配のマイケル・バレン・ウィズローは、U=Uの現在と感染の不安がセックスやデートにつきまとっていた過去を比べる。ディアンジェロ・ラブ・ウィリアムズは出会い系アプリでステータスを公開し、家族にも伝えていることを話す。

最後は監督のキングがシャワーを浴びながら詩を読み、その後にSadeの「Kiss of Life」のカバーをバックにキングと彼の恋人のような人が砂埃をたたせながら走っている。これらの瞬間と現れるタイトルは、愛と共同体により可能となる再生、浄化、自己回帰を示唆している。

・多くの場合、HIVが人間関係の文脈で語られるとき、その話題の中心は恋愛関係です。『Kiss of Life』は、その典型をこえて、HIVが家族との関係に与える影響や、HIVとともに生きることで生まれる新たな友情やコミュニティについて表現しています。恋愛や性的な関係を超えて、HIVの影響だけを考え続けたとき、どのような可能性が生まれると思いますか?

・キングが本作のインスピレーションにしているのは、マヤ・アンジェロウの詩「Recovery」とマーロン・リグスの『タンズアンタイド』です

クリフォード・プリンス・キング Clifford Prince King (he/him) ニューヨークとLA拠点のアーティスト。キングは、伝統的な日常におけるクィアでブラックの男性としての自身の経験である親密な関係を記録する。IG: @cliffordprinceking

以上の文章はVisual AIDSが発行したリソースガイドをベースにノーマルスクリーンで作成したものです。イントロダクションは、原文に忠実に翻訳し、それ以外は、ガイドから情報を選び翻訳と執筆し、構成しています。

 

2022年12月23日にぷれいす東京と共催したこちらのディスカッションの記録もぜひ見てください。
出演: 福正大輔さん/ブブ•ド•ラ•マドレーヌさん/HIRAKUさん/生島嗣さん/SHO


Being and Belonging イントロダクション

Introduction

Being & Belonging(在ることと属すること)は、HIVとAIDSをめぐる、十分に語られていない物語に光を当てる映像作品プロポーザルを求めるオープンコールとして始まりました。アーティストとキュレーターからなる審査員たち —エズラ・ベヌス(Ezra Benus)、ホルヘ・ボルデロ(Jorge Bordello)、ローラベス・リマ(Lauraberth Lima)、そしてニコ・ウィードン(nico wheadon)— が、AIDS危機に関する語りからこれまで排除されてきた声を集めることを目指し、届いたプロポーザルを品評しました。そうしてできあがったのが、ポピュラーカルチャーにおけるHIV表象とも、ここ数年間の私たちVisual AIDSの制作物とも大きく一線を画した、7本の短編映像作品からなるプログラムです。

すべての映像作品がHIVとともに生きるアーティストの視点から作られているのは、今回のプログラムが初めてです。世界各地の5カ国に住まう今年のアーティストたちは、1996年の抗レトロウイルス治療法 —HIVとともに生きる人々の生存確率を大幅に押し上げ、エピデミックにおけるターニングポイントとなった治療法— の登場後にHIV感染の診断を受けた者がほとんどである若い世代を代表しています。その映像作品の焦点はハッキリと「今この時」に絞られ、AIDS危機最初の数十年にしばしば重ねられる悲劇、喪失、あるいはヒロイズムのナラティブとは対照的な、幅広い現代の問題や経験が描き出されています。

Being & Belongingに含まれる映像作品のいくつかは、「Undetectable = Untransmittable(検出限界以下なら感染はしない)」という言葉を参照しています。この言葉は、抗レトロウイルス治療がうまくいけば、体内のHIVの量が他人に移しえないレベルまで減るという事実を反映したものです。このシンプルな事実は、HIVに関する活動や陽性者を支援する人々(HIV advocates)にとって、伝染の恐怖を鎮めるための強力なツールとなってきました。キム・ジェウォン(Jaewon Kim)クリフォード・プリンス・キング(Clifford Prince King)はいずれも、HIVとともに生きながら親密な関係性を築くことを詩的な形で振り返り、U=Uの時代に欠かすことができない新たなナラティブを確立しています。

抗レトロウイルス治療は非常に効果の高いものですが、世界各地のHIVとともに生きる人々の多くにとって、まともなケアはまだ手の届かないものです。今回のプログラムでフィーチャーされた国は(米国を除き)すべて国民皆保険制度をとっています。それでもなお、特許法や利益を優先する製薬会社がHIV治療薬の値段を大幅に吊り上げており、結果として一部の政府は、HIVとともに生きる人々やその他の「ハイコスト患者」に提供するケアの程度を落としています。今回のプログラムでは、コロンビア政府が提供する安価な薬の副作用として黄疸を経験しているカミロ・アコスタ・ハンターテキサス(Camilo Acosta Huntertexas)とサンティアゴ・レムス(Santiago Lemus)、そしてメキシコにおける植民地支配と薬へのアクセスの複雑な交差について考察するジョエル・サンポルテカ(Jhoel Zempoalteca)とラ・ジェリ(La Jerry)の声を聞くことができます。

Being & Belongingは、HIVに対する応答においてもっぱら統計としてしか表象されない —あるいはまったく描かれない— 様々な視点にも光を当てます。カミラ・アルセ(Camila Arce)は、アルゼンチンにおいて生まれながらにHIVに感染していた若き世代に声を与え、多くの仲間を殺してきた制度的ネグレクトに若者たちが立ち向かうさまを描きます。ダヴィナ “Dee” コナーDavina “Dee” Conner)は、カリン・ヘイズ(Karin Hayes)とともに、米国においてHIVとともに生きる黒人女性の証言をコラージュし、彼女たちが体験する医療への不信や露骨な差別、そして不可視性を省察します。またミキキ(Mikiki)は、注射薬使用をめぐる対話を新しい挑発的な枠組みで捉え直し、咎めと罰ではなく快楽とつながりを全面に押し出しています。 

Being & Belongingを形作る親密な一人称の語りは、見過ごされてしまうことの多い物語に深みと洞察を与え、HIVとともに生きつつも「ここに自分は属している」という感覚を作り出すために力を尽くしている人々の粘り強さと芸術性を具現化しています。7つの映像作品を通して見えるのは、アーティストとかれらのコミュニティが、ミクロとマクロの両レベルで —すなわちパーソナルな関係性において、あるいは政府の定めた構造と対極の位置で、さらには主流のHIV/AIDSをめぐるナラティブと対照的なところで— 自らの自主性を確立している様子です。

Being & Belongingは新たなイメージ、物語、感覚を見る人に届け、HIVとともに生きることの意味についての想定やそれらの経験の表象を攪乱します。これらの映像作品を見ながら、ぜひ考えてみてください— あなたがもつHIVについての知識はどこから来たのか、そしていったいそのどれほどが、今この時をHIVとともに生きている人の視点からのものなのか。そして生きられた経験の微細なニュアンスが語られる空間をつくり、今日HIVとともに生きている人々の感情の現実を進んで受け入れることで、どのような新しい可能性が開くのかを。


この文章は、テッド・カー、ブレイク・パスカル、カイル・クロフトがコレクティブのWhat Would an HIV Doula Do?とThe New School大学のテッド・カーの授業「Life During Memorialization: History and the Ongoing Epidemic of HIV/AIDS in the USA」で学生の意見を聞きながら作成された資料に掲載されたイントロダクション。それをノーマルスクリーンで翻訳したものです。(翻訳:佐藤まな)

ステートメント ENDURING CARE

ENDURING CARE
Day With(out) Art 2021
Visual AIDS




ケアを続けること、ケアを耐え抜くこととはどういうことでしょうか。数十年におよぶこの危機のなか、私たちはケアをどう持続させられるのでしょうか。

1996年に命を救う抗ウィルス剤の登場によりHIV周辺のケアは根本的に変わりました。しかし、未だにHIVを完全に治癒することはできずワクチンも存在しません。現在ではHIVは検出限界値未満まで減らし感染もしないところまで抑えられますが、HIVと生きるということは、自らの意志で毎日決められた通りに服薬を続け定期的に診察を受けることや、官僚的仕組みを前にした自己権利擁護(self-advocacy)、さらにスティグマや誤った情報との格闘と切り離すことはできません。「ENDURING CARE」は、こういった重なり合う現実を声にし、ケアワーカーやHIVと生きる人々の忍耐をみつめ、同時に、時に医療やヘルスケアがいかに辛く苦しく、アクセスが難しいものであるかを示唆しています。

この短編集では、次のような声に耳をかたむけ、活動を見つめます。何十年にもわたるHIV治療薬の服用によって引き起こされる副作用や医療問題について、長期サヴァイヴァーたち/ヘルスケア制度の崩壊によりHIVと生きる人々に不可欠な薬が届かない状況に立ち向かうメキシコのクィアとトランスのアクティヴィストたち/大胆な戦略をもちい、複数のAIDS関連団体がケアの提供を活動趣旨にしながらもスティグマと害を助長していると訴えるフィラデルフィアの黒人とブラウンのHIVケア従事者たち。

ネグレクト、悪用、乱用、製薬会社による利益誘導... こういった問題と向き合う中で、「ENDURING CARE」は、コミュニティをオーガナイズすることや相互扶助、医療やケアを通した連帯を作り直します。例えば、直面しているスティグマや恐怖についてよく考えるために音とビデオをもちいヴィジョンを共有する台湾のHIV+の女性たち/HIVと生きるプエルトリコの若い人たちが場所作りを通し繋がる姿/今あらためて解かれ現れる収監されていた女性たちの文章や詩のアーカイヴ/1980年代のイギリスで行政による初めての注射針交換プログラム実施のために警察と報道メディアを味方につけた公衆衛生役員を振り返る。彼らはどのようにそれを成し遂げたのか。/これらの作品を通してアーティストが、プライバシーや可視性に関わる問題と向き合いながら、いかに協同と弱さを隠さない状態を中心に据えたクリエイティヴな過程をへて、ケアを浮かび上がらせているかがわかります。

「ENDURING CARE」の参加アーティストらは、2020年の春 -- アメリカにおいてはコロナウィルスのパンデミックの初期であり、白人至上主義の存在を国中が無視できない状況だった頃 -- に最初の企画書を提出しました。審査委員はアクティヴィストでアーティストであるアイヴィー・アルシー、ジーン・カルロムスト、トーマス・アレン・ハリス、マシュー・ロドリゲス。この(HIVの)パンデミックを“終わらせる”という会話においては、毎日を生き抜くことの継続やこのウィルスと生きる日々を充実させることよりPrEPや予防の方が語られがちですが、あらためてHIV+の人々の経験を中心におくことを意識した7つの企画書が選ばれています。

しかしCOVIDが一過性でなく2020年中続く長い現実であることを集団として我々が理解し始めるなか、知恵や知識の情報源として、そしてこのパンデミックを生き抜き耐え抜くために、人々が長期サヴァイヴァーとAIDSアクティヴィストたちを頼りにし始めている姿に気づきました。同時に、米国では構造的人種差別やファシズムや搾取的な労働システムに対抗する草の根の組織化への大きな注目も伺えました。 黒人、ブラウン、先住民、クィア、トランス、障害をもつ人々のコミュニティにとって長く礎石となってきた相互扶助の構造がどのようなものかを多くの人は初めて経験していたのです。

「ENDURING CARE」のビデオはCOVIDだけにフォーカスはしていませんが、それぞれのテーマは両方のパンデミックに共鳴します。私たちが個としての力と集合的な力について想像力を働かせることを限定しようとするシステムへの応答として、「ENDURING CARE」は私たちお互いの深い繋がりや恩を強調しているのです。​

このプログラムを観た後には、ぜひ自分の政治的意識がこの1年半でどうシフトしたかを考えてみてください。あなたは自身のコミュニティとの連動性をどのくらい意識するようになりましたか?それはあなたのケアへの理解にどんな意味を持っていますか?あなたのコミュニティにとって本当に意味のあるケアの仕組みとはどのようなものですか?




 

 

以上の文章は、 テッド・カー、ブレイク・パスカル、カイル・クロフトがWhat Would an HIV Doula Do?コレクティブとThe New School大学のテッド・カーの授業「Life During Memorialization: History and the Ongoing Epidemic of HIV/AIDS in the USA」の学生の意見を聞きながら執筆したものをノーマルスクリーンで翻訳したものです。原文(英語、PDF)はこちら

本企画についてはこちら:http://normalscreen.org/events/dwa21


翻訳:Sho Akita
翻訳/編集協力:Jun Fukushima(Political Feelings Collective

Queer Visions 2021 オンライン版

京都で約2年ぶりに開催のQueer Visionsで上映される作品から、3作品をオンラインでも特別に公開!HIVの蔓延に関する現状や記憶をシンプルながらクリエイティヴな方法で伝えようとする2本と台湾から1本です。
これまでもAIDS危機に関する短編映像を発表しているマット・ウルフさんによる新作『アナザー ヘイライド』は日本初公開。ルシア・エガニャ・ロハスさんの作品は、日本では昨年末にノーマルスクリーンで配信しました
台湾出身のアーティスト謝光宣(シエ・クワンシェン)さんの作品もこちらで公開。本作は京都の会場では、台湾のキュレーターとアーティストからなるThe Other Cinema Collectiveがフランスの映画際のためにプログラムした「母の満ち潮 娘の引き潮」という作品群(計8作品)の1つとして日本初上映されます。京都では、参加作家3人とこのプログラムを行った吳梓安(ウー・ツィアン)さんがオンラインで上映後のトークに参加してくれます。
他に京都の会場では、アーティストの小田香さんを迎え、作品とクィアとの関係について話してもらいます。小田さんの作品は映画際などで上映されることが今後もあるはずなので、その機会をぜひお見逃しなく!

 
 

* 日本初公開 *

アナザー ヘイライド

(マット・ウルフ|アメリカ|2021|18分|Another Hayride)
*右下【CC】をクリックすると日本語字幕を表示できます。

1980年代初期、エイズが蔓延していくなか、セルフヘルプ(自助/互助/自立)グループを率いるルイーズ・L・ヘイが、[ヘイライド]という集いの場を立ち上げた。死のパンデミックと向き合い、差別にも苦しんでいた何百ものゲイ男性たちを惹きつけ、ルイーズは「自分を愛すること(self-love)でAIDSを乗り越えることができる」と約束した。彼女のやり方は危害をおよぼすと懸念する声もあった一方、実際に癒されたと信じた参加者がいた。




Female Disappearance Syndrome

(監督:ルシア・エガニャ・ロハス|チリ/スペイン|2020|7分35秒)
*右下【CC】をクリックすると日本語字幕を表示できます。

HIVやAIDSのジェンダー化され偏った表象を、チリの作家リナ・メルアーネは「女性消失症候群」と名付けた。本作の監督のロハスは、HIVと生きる女性の抹消について調査し、疑問を投げかける。

The Islands ​島嶼舊式

(監督:謝光宣 ​|​ 台湾|2016|9分53秒​)

3つの島で撮影したありふれたオブジェと35mmフィルムの写真で構成された実験的なドキュメンタリー:イニッシュモア(アイルランド)、スタテン島(アメリカ)、対馬(日本)の3つの島で撮影された。写真とオブジェを再撮影し、手描きアニメーションを施して作品を構築することで、島は地理的な用語ではなく、心の状態となり、映画はノスタルジーを表現し、監督が土地、国家、アイデンティティーとの関係性を見直すためのプロセスやメディアとなる。



イベント詳細:http://normalscreen.org/events/qv2021
開催日:11月27日(土)
会場:Lumen Gallery

主催:Queer Vision Laboratory|Normal Screen
協力:CIP Books | The Other Cinema Collective | Visual AIDS

トルマリン短編映画『大西洋は骨の海』+ 解説

アメリカをはじめ世界各地でBlack Lives Matterの運動がひろがっています。 そこで、ノーマルスクリーンで2017年末に上映した作品の中から、ニューヨークを拠点に活動するトルマリン(レイナ・ゴセット)の作品をステートメントとともに公開します。このステートメントの日本語訳をウェブ上で公開するのはこれが初めてです。 アメリカにおける黒人の歴史や白人以外のトランスジェンダーやノンバイナリーの人々のこれまでと現在について考えるきっかけになればと思います。

*下線がひかれている用語には解説があります。

 

トルマリン / Tourmaline
アーティスト。2017年、バーナード・カレッジ女性リサーチセンター(BCRW)の「アクティヴィスト・イン・レジデンス」に選出。パフォーマーでありアクティヴィストだったマーシャ・P・ジョンソンの短編映画『Happy Birthday マーシャ!』(2018)をサーシャ・ウォーツェルと共同で監督。また、MIT出版局が2017年10月に刊行したトランスの人々のアートと文化的活動についてのアンソロジー『TRAP DOOR』では編集者として参加。長年コミュニティオーガナイザーとしても活躍するゴセットは、人権団体シルビア・リベラ法律プロジェクトやクリティカル・レジスタンスでメンバーシップ管理者として従事した。拠点はニューヨーク。

※2018年7月にレイナ・ゴセット(Reina Gossett)からトルマリン(Tourmaline)に改名。本ページの注釈/用語説明では本作品発表時の表記(レイナ・ゴセット)を使用。

Image: Out Magazine, March issue 2019 cover | Photo: Mickalene Thomas

 

トルマリンは、トランスジェンダーやノンバイナリーの人々の人権に加え、以前から警察や刑務所の問題を訴えてきたアクティヴィストでもあります。

近頃のツイートより「“警察を廃止しろ” (abolish police) と言うとき、それは私たちの頭の中の警察も胸の中の警察のことも意味している」

 

大西洋は骨の海
Atlantic is a Sea of Bones
(Dir. Reina Gossett/ Tourmaline | 2017 | 7 min)

トルマリンによるステートメント:

 私のつくる映画の一貫した特徴は、ありふれた人びとが、世界に対してとてつもなく大きな影響を与えるような日常的行為を、いかに行うのか扱っていること。ストーンウォールで最初にショットグラスを投げつけたマーシャ・P・ジョンソン(『Happy Birthday マーシャ!』)、すべてのIDの性別を男性に戻したミス・メジャー(『The Personal Things』)、エイズの蔓延や、黒人を標的とした取り締まりの経験を通じた喪失感に立ち向ったエジプト・ラベイジャ(『大西洋は骨の海』)。いずれの映画も、ささやかな行為をしたはずが、実際には信じられないほど大きなことだった人物たちの姿を追っている。日常的でありきたりとみなされている物事が、どれほど深い美しさを持っているのか明らかにしたい。そんな心の底からの願望が私にはあって。日常のなかにある美に、私は強く引き込まれずにはいられない。その人が生きてきた人生の物語が、背後に追いやられてしまいがちな人びととの出会いにおいてはとりわけそうで。

 Day With(out) Art のためのビデオ作品のアイデアが生まれてきたのは、オードリー・ロード・プロジェクトに置かれた団体TransJusticeの一員として、シルビア・リベラ法律プロジェクトの事業に従事していたときだった。私たちは、有色人種のトランスジェンダーやジェンダーノンコンフォーミング(訳注:既存の二極化されたジェンダーに自分が当てはまらないと感じている)の人びと、低収入の人びとを対象に、そういう人たちの生活保護へのアクセスに関して、コミュニティを組織化するキャンペーンをしていた。生活保護へアクセスできるかどうかは生死を分ける差し迫った課題だ。私たちのコミュニティの多くの人たちは、福祉事務所やHIV/AIDS関連サービスの事務所での嫌がらせに悩まされつづけている。「無理なんですよ。あなたは援助を受けることができません。男性なのか女性なのか分かるような姿になってから来てくださいね。」なんて言われて。エジプト・ラベイジャはTransJusticeのコーディネーターだった。私たちはたくさんの「研究」をした。状況を改善するための方法について、その戦略を構想していた。彼女がある日、一冊のコーヒーテーブルブックを持ってきたんだけど、その本は、90年代のウエストビレッジでの彼女や、他の人たちの姿を取りあげたものだった。エジプトが語ってくれたのは、その本に載っている人は彼女以外みんな亡くなってしまったって話。それと、その本を作った誰一人として写真を撮る許可を彼女に尋ねなかったということも。私たちはたくさん話した。黒人の経験や、黒人トランスジェンダーの経験、黒人貧困者の経験を、アーティストたちが搾りとる形になっているのだ。そんな人たちが公の評価を得ている。そして、そうやって搾取されることにつきまとう感情について。また、私たちは喪失についても話した。多くのものを失うことはどのような結果をもたらし、それはある場所にいかに取り憑くのかについても。喪失は、ジェントリフィケーションやHIVの犯罪化や、あまりにも行き過ぎた「生活の質」向上のための取り締まりを通じて、クリストファーストリートで、ミートパッキング地区で、チェルシーで、ウエストビレッジで起こってきた。エジプトは驚くべきパフォーマーにしてアイコンだ。私は「このストーリーをいかにして共有できるのか、解明する取り組みをぜひあなたとしたい」と彼女に告げた。

 こういうことが起こっている間に、アレクシス・ポーリン・ガムスルシール・クリフトンの詩「Atlantic is a Sea of Bones」を朗読するのを聞く機会があった。その詩は私に大声で呼びかけてきた。何百年も前の歴史的トラウマからある風景に取り憑いた暴力に耳を傾けること。それによってもたらされる変容の可能性について。同時に私は、「ミドル・パッセージ」(訳注:大西洋間奴隷貿易において奴隷たちが運ばれたルート)を取り巻くSFファンタジー物語について、長年にわたって思いを巡らせて来ていた。それでつい最近興味を持ったのが、デトロイト出身のエレクトロニックミュージックのグループであるDrexciyaだった。彼らの持つ神話的世界観―「ミドル・パッセージ」で、船外へと飛び込んだり、あるいは投げ込まれた人びとが、水中にコロニーや都市を創設する物語―に引き込まれた。私は、人びとの生活や社会空間を形づくる、延々と続くエネルギーの流れと暴力についての映画を作りたかった。大西洋間奴隷貿易からHIVの犯罪化まで、全てが深く密接に相互につながり合い結びついていて、「アーティスト」たちによって搾取されてきたエジプトの物語とも完全に分かち難くあるような映画を。

 エジプトというキャラクターは、エジプトその人をもとにしているけれど、実際のエジプトとは異なるキャラクターになっている。私は、エジプトがジャマルというキャラクターに助けられながら、自己実現に向け邁進する脚本を書いた。ジャマルは冥界の者。さそり座のゴーストというキャラクターで、ジャマル自身の自己実現をエジプトもまた助けるという関係になっている。これはラディカルな互恵主義を意図してのこと。この種の物語ではこれまで幾度となく、主要キャラクターのためだけに存在するマジカルな人物というキャラクターが置かれてきた。それに対して、一方的にケアする/ケアされる関係によるナラティブの型をひっくり返したいという強い思いが私にはあった。

 バスタブのシーンをやるのは、びっくりするほどたいへんだったけれど、素晴らしいものだった。その水は、バスタブから溢れつづけていて。それは精神が語りかける力強い姿のように思える。全てのものは溢れ出しているというメッセージだ。それは押さえ込んでしまうことなどできないものなのだ、と。私は言った。「思い出させてくれてありがとう」って。この感覚は、美しく、頭にずっと残る、叙情的なものだった。こうして水が映画に組み入れられて、一つのキャラクターとなる。私たちはホイットニー美術館の最上部でも撮影をした。美術館が移転してきた新しい所在地が、ジェントリフィケーションによる大変暴力的な浄化の根底をなすような場所の一つであると暗示される。ミートパッキング地区や川沿いの埠頭[ピアー]には、HIV+の人たちのための場所、黒人やトランスの人たちのための場所があった。そしてそれらの場所は、今もまだ存在しているのだ。彼女/彼らは完全に出ていった訳じゃない。そのことを、エジプトの物語や、より幅広く、水辺で営まれることになった生や生活と結びつけることはとても重要なことだと感じた。

 私が行っているコミュニティ組織化の実践は、その場で起こった問題からもっとも影響を受けた人びとに、自分たちで世界に変化を起こすことは可能だという力の感覚を築き上げるためのもの。財源へのアクセスをより多く持っていたり、問題ある状況に力まかせに介入し解決するような権力とのつながりを持っていたりするほかの人たちの助けなど必要ない。そう思える力強さを持てるようにするのだ。私たちは解決策を探っている。私たちは想像し、熟考し、そしてそれを実現する。私にとって、10年間にわたりそういう実践を行って学ぶことは、奥深い旅のようなものだった。そのただ中にいる間は、他のことをすることは想像もできなかったのだけれど、終わりに近づくにつれて、自分にとってアートと物語がどれほど重要かを私は理解しはじめた。どんなところに行っても、シルビア・リベラやマーシャ・P・ジョンソンバンビ・ラムーアアンドラ・マークスそしてS.T.A.R.(ストリート・トランスヴェスタイト・アクション・レボリューショナリーズ)についての話をしたくなった。これらの人たちの友人を通じて、また彼女/彼らがニューヨークという都市のあちこちに残した―それがどこかのアーカイブの中、あるいは誰かのベッドルームにであろうと―その足跡や痕跡を通じて、私は彼女/彼らについてますます学んでいった。そして創造力をもっと探るようになる。それは組織化の仕事においては必ずしも探ることのなかったものだ。コミュニティの組織化キャンペーンに携わることは、とても活力を得られるのだけれど、同時に、障害をもつ私にとっては、他のことをするエネルギーが全く残らないほどきついものだった。私には完全にキャパオーバーだった。また、友人の多くが死んでいっていた。今までのやり方で仕事をつづけることは不可能だ、そう悟ったのはこの時のことだ。食べていくための別のやり方が必要だった。そうして、マーシャの物語のように私に大きな影響を与えた物語は、お互いに関連性を持っていることに私は気がついた。

 映画制作にどんなことがともなうのかは、まったくの無知だった。でも確固たる意志はあった。『Happy Birthday マーシャ!』で、サーシャ・ウォーツェルとの制作が始まり、私たちのカメラマンになったのがアーサー・ジェイファ。彼から学ぶことは、それは素晴らしい体験だった。最初の夜、私はモニターの前にいて、そしてはっきりと理解した。監督こそが私がやりたかった唯一の仕事なんだと。人びとの生や生活は都市の至るところに、一つ一つは取るに足らなく見えるけれど、すばらしい痕跡を残している。それらはこれからも残され続けていく。目の前に立ち現れてくるマーシャやシルビアのような人が生きた痕跡にふたたび息を吹きこむことができるのは、なんとも素晴らしいことだ。さあ、後を引き継いでいって、そんな風に呼びかけられているような気持ちになるから。

(聞き手:ヴィヴィアン・クロケット、キュレーター)

用語集

 

マーシャ・P・ジョンソン(Marsha P. Johnson) 
1992年に死去するまでニューヨークに住んでいたセックスワーカーでHIV/AIDSやLGBTQの人々の人権を訴えた活動家。生前はドラァグクイーンと自称していたとされる。友人のシルビア・リベラとともに、ニューヨークのゲイ&レズビアンのコミュニティに対してもトランスの人々へのサポートを訴え、社会からはじかれてしまった人々を支援するためにS.T.A.R.(「S.T.A.R.」の項目を参照)を結成した。1969年のストーンウォールの反乱は彼女により始められたと一般的に考えられている。A
-The Marsha P. Johnson Institute https://marshap.org/

オードリー・ロード・プロジェクト(Audre Lorde Project)
ブルックリンに拠点を置く、非白人のLGBTSTGNC(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トゥー・スピリット〈北米先住民で第三のジェンダー、あるいはそのほかさまざまなジェンダーロールを生きる人たち〉、トランス、ジェンダー・ノンコンフォーミング〈広く性別の表現が従来の文化的な規範に当てはまらない人たち〉)のコミュニティ形成やその活動を支援する組織。1994年発足、1996年より現在の拠点であるラ=ファイエット・アヴェニュー長老派教会の教区信徒会館にセンターを構える。ニューヨーク・シティ地域の非白人LGBTSTGNCコミュニティに関わる問題、例えばホモフォビアやトランスフォビアへの抗議行動、HIV/AIDSアクティヴィズム、刑務所収容者の待遇改善や移民の支援の働きかけ、若年層のコミュニティの組織化などに、さまざまなキャンペーンやワーキング・グループを通じて取り組んでいる。名称は黒人レズビアンの詩人で活動家であるオードリー・ロードに由来。N
-https://alp.org/

エジプト・ラベイジャ(Egyptt LaBeija)
1981年にニューヨークでエンターテイメントの世界に入ったエジプトは、いくつもの有名なバーやクラブでのパフォーマンスで活躍してきた。90年代には、ボールルーム(ballroom)のシーンに出会い、活動の場を広げた(ファミリーネーム=「ラベイジャ」はボールルーム文化における有名なグループの一つである「ハウス・オブ・ラベイジャ」に由来するが、彼女がその一員に迎え入れられたのは近年のことだそうだ)。2010年代に入ってからは、レイナ・ゴセットがインタビューでも語っているように、オードリー・ロード・プロジェクトに関わりアクティヴィズムの領域でも活動。ゴセット作品では『Happy Birthday マーシャ!』にも出演している(Miss Egypttとクレジット)。F
-参考:Interview with Icon Egyptt Labeija (Trans*Atlantic)

ルシール・クリフトン(Lucille Clifton)
詩人、小説家。1969年に最初の著作である詩集『Good Times』を刊行。生涯を通じて著書多数。2000年、『Blessing the Boats: New and Selected Poems 1988–2000』で全米図書賞(詩部門)を受賞。1988年には二冊の詩集『Good Woman: Poems and a Memoir 1969-1980』『Next: New Poems』でピューリッツァー賞(詩部門)のファイナリストに選出(同賞には1980 年にもノミネート)。クリフトンはまた子ども向け―特にアフリカ系アメリカ人の子どもたちに向けた―本もたくさん執筆した。ある詩の専門サイトの紹介によると「ルシール・クリフトンの作品は、アフリカ系アメリカ人の経験、家族での生活に特に焦点をあて、苦難を経た忍耐力や強さを強調する」。邦訳として、藤本和子編『女たちの同時代―北米黒人女性作家選 第7巻 語り継ぐ』(1982)収録の「末裔たち 回想」(藤本訳|原著=『Generations: A Memoir』、1976)。60年代から70年代にかけてのウーマン・リブの広がりを背景とした詩が集められた『現代アメリカ黒人女性詩集』(水崎野里子訳、1999)収録の7編。絵本『三つのお願い』(金原瑞人訳、2003、絵は日本で付けられたもの|原著=『Three Wishes』, 1976)。F
-参考:Lucille Clifton(Poetry Foundation)

『Happy Birthdayマーシャ!』(原題『Happy Birthday, Marsha!』, 2018)
レイナ・ゴセットとサーシャ・ウォーツェルが共同監督した15分の短編映画。2018年公開。著名なトランスジェンダーのアーティスト兼アクティヴィストであるマーシャ・P・ジョンソンその人とその人生について、1969年ニューヨークでのストーンウォールの反乱の火を彼女がつける、その前の数時間を通して描いた劇映画。マーシャ役を演じたのは、二人の非白人トランス女性セックスワーカーのストーリーを描いた映画『タンジェリン』(ショーン・ベイカー監督、2015)で主役の片割れを演じたマイヤ・テイラー。ゴセットがインタビューでその名に言及する、マーシャの友人でありS.T.A.R.の活動を共にした、シルビア・リベラ、バンビ・ラムーア、アンドラ・マークスらはみなこの映画の登場人物となっている。日本では2018年度の関西クィア映画祭で初上映された。F

バンビ・ラムーア(Bambi L’Amour)
シルビア・リベラとマーシャ・P・ジョンソンの友人で、S.T.A.R.の活動に参加。S.T.A.R.はトランス女性やドラァグクィーンのためのシェルターとしてS.T.A.R. Houseを運営しており、バンビはその施設のために働いていた。F


ゴセットはマーシャを"トランスジェンダー女性"と呼び、一般的にもそう認識されているが、当時彼女が、ゲイ男性や女性と区別して自身を指す言葉として実際に使っていたのは"ドラァグクィーン"だった。2019年にニューヨークタイムズのウェブサイトで発表されたドキュメンタリー で使われるマーシャの音声アーカイブではバーのストーンウォール・インについて「あそこに入れたのは当初はゲイ男性だけ、次に女性も入れるようになり、その次にドラァグクィーンたちが入れるようになった」と言っている。

他方で、設立した団体のS.T.A.R.という名称のTには"トランスヴェスタイト"の語が使われている。現在の英語圏ではあまり使われず、また好ましくない用語とされている(そう自称する人以外に使うのは適切でない)この語は、1900年代初めの神経学者による「異性装により性的な興奮を得る者」という定義から始まるが、のちには性的興奮を得るという意味は一般的には含まれないものへと変化していった。変化の中で持続した意味の部分は、服装に関するジェンダー規範「女らしさ」「男らしさ」の割り当てに従わず「異性装」をする人たちと大まかには捉えたらいいだろう。マーシャたちはこの語も自分たちを指す語として使っていた。

S.T.A.R.についての項目にあるように、この団体は特に(マーシャ自身もそうであった)セックスワーカーの援助に力を入れた。そこで客をとるという点で、路上(ストリート)という場と強く結びつくセックスワーカー。その人が「トランスヴェスタイト」でもあるときにどういう危険にさらされるのか。同じ人であり、同じく異性装であっても、着飾りバーへと繰り出すとき(そこにもなかなか入ることができなかったのだが)とはまた違った、マーシャたちが生きた世界が見えてくる。 F/A/N
-参考:Glossary of Terms - Transgender(glaad)
-参考:森山至貴『LGBTを読みとく』(ちくま新書)



ミス・メジャー(Miss Major)
ミス・メジャー・グリフィン=グレイシー、シカゴ出身。1950年代から特に非白人トランス女性に重点をおき活動する元セックスワーカーのトランス・アクティヴィスト。自身も投獄された経験を持つ彼女は、2005年からサンフランシスコにある団体Transgender, Gender Variant, and Intersex Justice Projectで、「産業化」されたアメリカの刑務所に投獄されたトランス女性の権利を訴えるなどの運動を続ける。2017年の関西クィア映画祭などで上映された長編ドキュメンタリー『メジャーさん!』(原題『Major!』)では、これらの活動に加えトランス・コミュニティで「ママ」と慕われ、実際に母/父であり、今では祖母/祖父にもなったミス・メジャーの姿も垣間見れる。A
-Major! https://www.missmajorfilm.com/

シルビア・リベラ法律プロジェクト(Sylvia Rivera Law Project)
シルビア・リベラ法律プロジェクトは、全ての人々が、収入や人種にかかわらず、また、いやがらせや差別や暴力にさらされることなく、自身のジェンダーアイデンティティやジェンダー表現を自由に自己決定できることが保証されるよう活動している団体。「ゲイの権利」運動が主流化していく中で周縁化された全ての人々のため、たゆみなく主張し続けたシルビア・リベラの名を冠し2002年に設立された。F
-https://srlp.org/

アレクシス・ポーリン・ガムス(Alexis Pauline Gumbs)
詩人で、在野学者、アクティヴィスト。「クィアな黒人のトラブルメーカーで、黒人フェミニストの愛の伝道者」を自称。2016年刊行の詩的著作『Spill: Scenes of Black Feminist Fugitivity』は、ジェンダー化された暴力やレイシズムからの自由を求めて逃亡する黒人の女性や少女たちを描いたシーンの圧倒的なコレクションとなっており、黒人フェミニスト文学批評、史学史や黒人フェミニスト思想家たちのことばと関わる対話的な実践に対するオルタナティブな方法を示している。本プロジェクトのパンフレットでトーマス・アレン・ハリスのインタビューで言及されたイヴォンヌ・ウェルボンら編『Sisters in the Life: A History of Out African American Lesbian Media-Making』にもアレクシスは寄稿(「世界をあらたに作り出す:黒人レズビアンの遺産とクィア映画の未来」)。また、ルシール・クリフトンの詩「大西洋は骨の海」を彼女が朗読し解説をする映像はネットでも公開されている。F
-https://www.alexispauline.com/

「Atlantic is a Sea of Bones(大西洋は骨の海)」
1987年刊行のルシール・クリフトンの詩集『Next: New Poems』に収録。アフリカ系アメリカ人のコミュニティに伝わるスピリチュアル(黒人霊歌)「Dem Bones」(「Dry Bones」とも)の歌詞の引用で始まる。奴隷としてアフリカから北米に送られる途上の大西洋の底に沈み、堆積されているかのような黒人女性たちの悲しみと苦悩を「骨」をモチーフに描いている。上記のアレクシス・ポーリン・ガムスはこの詩を朗読する動画の中で「(奴隷制という)巨大かつ組織的な暴力の痕跡が、海や陸地といった私たちを取り囲む風景のなかにも形を残し、私たちの名前に呼応する。その事実が持つ脅威と力とを、ルシール・クリフトンはこの詩で呼び起こしている」と語っている。N

S.T.A.R. (Street Transvestite Action Revolutionaries 〈行動する路上のトランスヴェスタイト革命家たち〉) 
シルビア・リベラとマーシャ・P・ジョンソンによって設立された若年層の非白人トランス女性(特にセックスワーカー)のホームレスを援助する団体。ストーンウォールの反乱の翌1970年、ニューヨークで開催された最初のゲイプライドマーチに際して、リベラもその一員だったゲイ解放戦線(Gay Liberation Front)などの団体がシット・インを決行。ゲイコミュニティに向けた法的支援、医療サービス、住宅斡旋を求めて行われたもので、この経験から自身の団体の結成を発想したと言われる。シルビアやマーシャ自身もホームレス状態を体験してきた当事者であった。F
-参考:An Army of Lovers Cannot Lose: The Occupation of NYU’s Weinstein Hall(Researching Greenwich Village History)
-参考:Street Transvestite Action Revolutionaries(Gay Liberation in New York City·OutHistory)

アンドラ・マークス(Andorra Marks)
アンドラも、シルビアやマーシャと共に、S.T.A.R.で活動した人物。映画『マーシャ・P・ジョンソンの生と死』の中で、シルビアによる1973年の有名なスピーチ(「Y’all Better Quiet Down」)の記録映像が出てくるシーンがある。彼女は聴衆に向かってバンビやアンドラの名前を言及する。白人専用クラブに属するようなミドルクラスの男女のためではなく、我々全てのために何かをなそうとしている人たちの姿を、S.T.A.R. Houseに見に来て欲しいと。F

アーサー・ジェイファ(Arthur Jafa)
ミシシッピ州出身、アフリカンアメリカンのアーティスト、撮影監督。撮影で参加したジュリー・ダッシュ監督の『自由への旅立ち』(1991)で注目を浴びる。代表作にスパイク・リー監督の『クルックリン』(1994)、JAY-Zのショートフィルム『4:44』(2017)、ソランジュのMV『Don't Touch My Hair』(2016)など。A
-Art News https://www.artnews.com/art-news/artists/icons-arthur-jafa-9971/

サーシャ・ウォーツェル(Sasha Wortzel)フロリダ州出身、ニューヨーク拠点のアーティスト、映像作家。ときにドキュメンタリーとフィクションの技法を織り交ぜ、ジェンダー、セクシュアリティ、場所についての映像やインスタレーションなどを発表している。『Happy Birthday マーシャ!』をゴセットと共同監督し、その後も共同で作品の発表を行なっている。日本では、ケイト・クナスと共同監督の長編ドキュメンタリー『スターライトの伝説』(原題『We Came to Sweat』, 2014)が2015年の東京国際レズビアン&ゲイ映画祭で上映された。最近ではアメリカで注目のパフォーマンスアーティスト、モーガン・バスキスがファイアー・アイランドで歌うMV『We Have Always Been on Fire』を監督。A
-http://www.sashawortzel.com/

*用語集はステートメントを翻訳したチームが執筆。執筆者はイニシャルで表記。
*映像はニューヨークの非営利アート団体 Visual AIDSが彼らのアニュアルイベントDay With (out) Artのためにコミッションした作品。ステートメントはVisual AIDSがインタビュー形式で行い発表したものを翻訳。詳しくはこちらを参照:http://normalscreen.org/dwa17

本プロジェクトその他の6作品はこちらから鑑賞できます。http://normalscreen.org/dwa17

Translation: Jun Fukushima
Editing: Atsuko Nishiyama/ Sho Akita/ Yuki Ocho/ Shin Nemura
With: C.I.P. Books and Visual AIDS


HIV犯罪化について知っておくべきこと

日本語字幕付きで公開中のビデオ『知られざる結末、アクティヴィストの蜂起』で言及される
「HIV の犯罪化」についてこちらで説明します。映像はこのページの最後でも鑑賞できます。

You-Care-About-1.jpeg
 

あなたはHIVの犯罪化を
問題に思うはずだ

(ただその事について
 まだ知らないだけ)*

このポスター(タブロイド)は、Visual AIDSがエイヴラム・フィンケルスタイン(Avram Finkelstein)にコミッションしたもの。裏には下記の情報が記載されている。ニューヨークプライドマーチ2018で配布された。

* Courtesy of HIV Is Not a Crime Flash Collective

 

HIV犯罪化について知っておくべきこと
・米国では、1986年に初めて明確にHIVに特化した法律ができてから、HIVに関する公訴が1500件以上あった。

・現在、34の州でHIVに関する刑法に効力がある。

・これらの法の多くは、HIV陽性を相手に明かさないことを有罪とし、HIVと生きる人々は同意のもとの性的行為でも相手にHIVのステータスを告げなければ、起訴され投獄されるリスクをはらんでいる。これらの訴追/起訴は、コンドームの使用、ウイルス量、または現実的な伝染の可能性の有無は考慮されない。

・他の法律では、被告人がHIV陽性の場合、セックスワークに関連する軽罪が重罪へと強まることもある。たとえそれが性的行為の証拠がなかったり、勧誘された場合でもだ。

・HIVに関するこれらの法の多くはエイズ流行の初期に施行されたもので、HIVの感染を防ぐコンドームの有効性や抗レトロウィルス剤、PrEPなど現在の科学的知見を無視している。

・25の州はHIV感染リスクの低い、または無視してよいほどの行動 ーー 噛む、唾を吐くなどーー を有罪としている。唾では感染しない。

・HIVに特化した法律のない州でも、HIVと生きる人々が加重暴行や殺人未遂やバイオテロの罪として起訴されている。

HIV犯罪化を分解する
米国医師会、米国心理学会、全米刑事弁護士会、その他多くのエイズ関連団体はHIV犯罪化に反対の声明をだしている。

連邦政府でさえ、2013年にHIVの犯罪化に反対の姿勢を示した。HIV/AIDSに関する大統領諮問委員会はHIV関連の法の現代化を推薦。司法省は2014年に法改革のためのガイドラインまで提出した。2017年、トランプは諮問委員会のメンバー全員を解雇した。

HIV犯罪化の終結は、HIV関連の法が州ごとに異なることから複雑化している。つまり法の現代化はひとつずつ別々に地方議員とアクティヴィストが協働して行わなければならない。

ミズーリHIV司法連合は、州のHIVに特化した 2つの法を現代化する改正案を提出することに成功。一方、ルイジアナ州の議員らは、現在の法を拡大し、警官に体液を暴露したといわれる人に州は強制でHIV検査を受けさせられるようにしようとしている。これらは、HIVに特化した法が現在も有効な34州のうちの2州での例である。

科学は事実に基づいている。法は先例に基づいている。多くの州では、判例はいまだに1980年代のものに基づき、HIVと生きる人々へのスティグマを強めている。

 


*情報は2018年12月、アメリカ合衆国でのもの。

*右下の【CC】をクリックして日本語字幕を表示してください。
Subtitles: Sho Akita and Hibiki Mizuno

参加団体紹介などはこちら:http://normalscreen.org/events/dwa2018

グラン フューリーと『Ashes』に表れる文字のいくつか

CONTEXT for ALTERNATE ENDINGS

パラパラマンガのように流れる情景に重なる、名前や日付、フレーズの数々がトム・ケイリン自身が企画者の1人でもある「ALTERNATE ENDINGS」で発表した『Ashes』の映像に浮かび上がります。この作品を観る人によっては、その文字はただの記号にすぎないかもしれない。しかし、ケイリンやアメリカのエイズ危機を経験した人やそれに詳しい人にとっては、特定の場所や友人、当時の衝撃的なビジュアルを思い起こさせる特別なもの。この記事では、数点ではあるが、作品中に登場するそれらの日付やフレーズの背景を紹介したい。

なかでも多く登場するのが、エイズアクティビズムをポスターやビジュアルを使い行っていたグループ グラン フューリー(Gran Fury)の作品である。グラン フューリーは、エイズアクティビズムで有名なACT UP(力を解放するエイズ連合を意味する英語の頭文字)から派生したもので、映画監督であるトム・ケイリン自身も主要メンバーであった。アメリカ各地及びフランスでも活動のあったACT UPだが、団体発祥の地ニューヨークでの動きも盛んだった。マンハッタン13丁目のコミュニティセンターThe Centerで行われたミーティングにはアーティストやデザイナーも多く参加し、政府や行政に対する怒りを源に活動していた。ある日のミーティングで、ウィリアム・オランダー(現代アート美術館New Museumのキュレーター)が美術館1階の展示スペースを使って何かしたい人はいないかと提案した。それに関心を示した数名がミーティング終了後に残り、アイデアを出し合った。その成果が現在でもよく知られる「Silence = Death」がピンクトライアングとともに配置された作品『Let the Record Show…』である。1987年7月、この作品はACT UPの名の下に発表、その後も場所を移しながら展示され、グラフィックとしてもポスターやTシャツなどになり、深く記憶されるイメージとなった。

1987 Designer: Silence=Death Project Photography: Fred Scruton at 583 Broadway (The Astor Building), THE NEW YORK PUBLIC LIBRARY DIGITAL COLLECTIONS.

1987
Designer: Silence=Death Project
Photography: Fred Scruton
at 583 Broadway (The Astor Building), THE NEW YORK PUBLIC LIBRARY DIGITAL COLLECTIONS.

THE NEW YORK PUBLIC LIBRARY DIGITAL COLLECTIONS. Date Created 1996 - 1997

THE NEW YORK PUBLIC LIBRARY DIGITAL COLLECTIONS. Date Created 1996 - 1997

翌年1988年、ACT UPとは別にケイリンらがグラン フューリーとして活動を始めた頃には、映画監督トッド・ヘインズも所属していた。彼らは同年に、有名な『Read My Lips』を発表。この作品までオープンだったグループは、意見や人物の出入りが激しく活動が進行しなくなったために、ドナルド・モフィットなど11人のメンバーでフィックスする。なかにはアートと関係のない職種のメンバーもいた。

ビデオの03:12に登場する「Read My Lips」は当時アメリカ副大統領だったジョージ・H・W・ブッシュが共和党全国大会の演説での発言をもじったもの。ブッシュは「しっかり聞きなさい/私を信じなさい」という意味でこう発言し、自身が大統領になったら増税は行わないと訴えた。(この公約は守られなかった)このポスターは、デモ集会の日時などの告知と同時に広まった。ホモフォビアな社会に「このイメージを見ろ!」と言っているようでもある。

Manuscripts and Archives Division, The New York Public Library. "Read My Lips (Boys) (Posted on a brick wall near a fence)" The New York Public Library Digital Collections.

Manuscripts and Archives Division, The New York Public Library. "Read My Lips (Boys) (Posted on a brick wall near a fence)" The New York Public Library Digital Collections.

Photo: Normal Screen このイメージは「Kissing Doesn't Kill」というキャンペーンでの使用のほうが有名。

Photo: Normal Screen
このイメージは「Kissing Doesn't Kill」というキャンペーンでの使用のほうが有名。

Source: REBELS REBEL by Tommaso Speretta http://www.dazeddigital.com/artsandculture/gallery/18677/4/rebels-rebel-by-tommaso-speretta

Source: REBELS REBEL by Tommaso Speretta http://www.dazeddigital.com/artsandculture/gallery/18677/4/rebels-rebel-by-tommaso-speretta

He Kills Me! / あいつに殺される!」のあいつとは、当時の大統領ロナルド・レーガン。彼は1981年に大統領に就任するが、2期目に入った1985年に記者から質問を受けるまでエイズという言葉すら発言しなかった。この年の終わりには、アメリカ国内で1万人以上がエイズで亡くなっていた。

"This one prevents AIDS." 1989, New York, New York, USA http://aep.lib.rochester.edu/node/44142

"This one prevents AIDS." 1989, New York, New York, USA http://aep.lib.rochester.edu/node/44142

「scumbag」(スカムバッグ)とは卑怯者やくそったれ といった意味があるが、『Ashes』では「KNOW YOUR SCUMBAGS」に対する訳を「ゴムと敵を知れ」とした。その理由は、この言葉が上のビジュアルとともに記憶されたものであり、そこには避妊は信仰に反すると、コンドームの使用を否定していた当時のカトリック教会の高位聖職者の隣にコンドームが並べられているからだ。また英語で精子はカムと呼ばれることもあり、それを入れるバッグ=カムバッグ=コンドームという言葉遊びもあったのだろう。遠くにいる権力者や影響力を持ったものの意見が、自分やコミュニティの生死にも関係していることを批判とユーモア、そしてコンドームを見ることや使用することを日常の光景へと繋げたパワフルなポスターである。物議を醸したこのポスターはベニス・ビエンナーレで発表され、活動はアートとしても認識されるようになった。

もう一つ印象的なグラン フューリーのフレーズがこのビデオに登場する。「4万2千人が死んだ アートだけでは足りない」ダジャレもかっこいい写真もないまっすぐなポスター。そして、この状況を終わらせるために力を合わせて行動しようというメッセージが続く。アートやデザインの力を信じ、活動を続けながらも落ち着きを見せないエイズ危機...

Art Is Not Enough [With 42,000 Dead . . .] / Manuscripts and Archives Division, The New York Public Library. The New York Public Library Digital Collections.

Art Is Not Enough [With 42,000 Dead . . .] / Manuscripts and Archives Division, The New York Public Library. The New York Public Library Digital Collections.

1990年代中頃には、プロテアーゼ阻害剤という薬の登場もあり、複数の薬でHIVの増殖を抑える治療法(HAART療法やカプセル療法と呼ばれる・日本では97年より)がはじまり、エイズに関連する病で亡くなる人の数は急激に減少する。その影響か、アメリカではHIV/AIDSに関する動きや話題、活動がおとなしい時期があった(ALTERNATE ENDINGS企画者テッド・カーはこれを「第2サイレンス期」と呼ぶ)。しかし、ここ数年、またHIV/AIDSについて見聞きする機会が増えた。2010年代前半から、欧米ではエイズに関する複数のドキュメンタリーが制作されたり、展覧会が多く行われた。そんななか、2012年には初めてのHIV予防薬もアメリカで承認され、世界各地に広まり始めた。PrEP(プレップ・暴露前予防投薬)と呼ばれ、ツルバダという薬を1日1錠の服用で感染を予防できるというものだ。それと同時にあらわれた現代らしいフレーズが #truvadawhore(#ツルバダホアー)。ホアーとは軽蔑的に売春婦を呼ぶ際に用いられ、尻軽などの意。そこでPrEPを始め、生でのセックス大好き、を堂々と宣言する人たちがツイッターで用いたハッシュタグだ。(合わせてコンドームの使用も勧められている)

ビデオも終わりに近づき登場するのが「Your Nostalgia is Killing Me」というフレーズ。これはここに紹介したどれよりも認知度は低いと思われる。ビデオでは「お前のノスタルジアにはうんざり」と訳した。これはカナダの団体 AIDS Action Nowの企画 Poster/VIRUS で1980年代前半生まれのアーティストVincent Chevalier とIan Bradley-Perrinが2014年に制作したもの。鑑賞者の捉え方によって、作品の印象が随分違うのではないだろうか。
過去にエイズで亡くなった人々のことを思うことが若いアーティストやHIV陽性者をうんざりさせているということなのか?エイズ危機が忘れられ始めている証拠ではないか? このフレーズからそういった印象も受けるかもしれない。ポスターの中にジャスティン・ビーバーがいる。なぜだろうとよく見ると、ACT UPのTシャツを着ている。記憶もなにも、そのロゴがどこから来たのかすらきっと彼は知らない。

Source: AIDS Action Now

Source: AIDS Action Now

ALTERNATE ENDINGSの上映会を新宿2丁目のコミュニティセンターaktaで開催してもらった後、特定非営利活動法人akta 理事長の岩橋恒太さんがこのフレーズについても興味深い考察をシェアしてくださった。彼もまた1980年代前半生まれ。 「Your nostalgiaの Yourっていうのが誰に向けられているのか関心があります。Yourが医療者にとってエイズとかゲイ、バイセクシャルの生をある種のノスタルジーで言っているのか...。ノスタルジーを感じるというのは哀愁とか郷愁ということだから、自分の生きるっていうこととある種の距離がとれないとノスタルジーは生まれないわけですよね。それができる位置にいる者っていうのが、医療だったり行政だったり、製薬メーカーだったりっていうこともあるだろうし、それを読み替えていけば、ずっと変われない活動をしてきた、エイズアクティビズムに対してでさえも同じことが言えるのではないかなという気がしています。」

#ツルバダホアーやこのフレーズからも感じられるジェネレーションギャップや岩橋さんの言うような哀愁もこのポスターに描かれ問題視されているなら、ここで紹介したイメージから今までの間を空白にするのではなく、自らのことと滑らかに繋げる必要があるはずだ。『Ashes』では時間の流れが描かれている。いくつもの瞬間が今に向かって滑らかに重ねられている。ケイリンがどういう意図で、このポスターを引用したかは定かではない。ただ、ひとつ間違いないこと。それは時間は経っているということ。

 

【参考資料】
- Gran Fury Interview with Douglas Crimp in Art Forum, April 2003
- ニューヨーク公共図書館 アーカイブ http://digitalcollections.nypl.org/collections/gran-fury-collection#/ (グランフューリー関連の画像157枚が閲覧できます)

リース・アーンストとザッカリー・ドラッカーの関係

CONTEXT for ALTERNATE ENDINGS

Relationship, #23 (The Longest Day of the Year) 2011 © Zackary Drucker & Rhys Ernst | Courtesy of the artists and Luis De Jesus Los Angeles | Prestel

Relationship, #23 (The Longest Day of the Year) 2011 © Zackary Drucker & Rhys Ernst | Courtesy of the artists and Luis De Jesus Los Angeles | Prestel

Dear Lou Sullivan』を制作したアーティスト、リース・アーンスト(Rhys Ernst)とザッカリー・ドラッカー(Zackary Drucker)の活動を紹介します。

日本では滅多に名前を聞く機会のない二人ですが、アメリカではポップカルチャーとの距離も近いアーティストということもあり知名度は上がっています。
1980年代生まれのふたりはカリフォルニアを拠点によく共同で作品を制作。ふたりの代表作は2014年に発表された『Relationship』です。当時、恋愛関係にあったふたりが日常と性転換する様子を6年間にわたり記録したこの写真はホイットニー美術館の由緒あるバイアニュアル展に選出されたことをきっかけに注目を集めました。ドラッカーが男性から女性へ、アーンストが女性から男性へ。互いにトランスである彼らの親密な時間の描写と変化は、トランスジェンダーに関する議論や表象の増える現代において重要な作品としてとりあげられました。

時を同じくして2013年の制作開始からふたりがプロデューサーとして参加しているドラマ『トランスペアレント』が話題になります。

1話30分のシリーズで、日本のAmazonプライムでもストリーミングされています。 クリエーターは、『シックス・フィート・アンダー』などの上質なドラマやインデペンデント映画で活躍していたジル・ソロウェイ(Jill Soloway)。「このドラマが売れなかったら映画にするつもりだった」という発言にもある通り、まるで映画のようなスタイルときめ細かさで人気を博し、2015年にはゴールデングローブ賞のテレビ・コメディー部門で最優秀作品賞を受賞。コメディーと言っても日常にある“可笑しみ”が笑えて、はっとしてグッとくる。また同年のエミー賞でも11部門でノミネートされました。現在はシーズン2のストリーミングも始まっており,シーズン2も今年のエミー賞10部門でノミネート! 

このドラマの中心となるのは、現在のロサンゼルスに住む裕福なユダヤ系の家族。ジェフリー・タンバーが熱演する、定年した父親「モート」が「モーラ」になるところから物語は始まります。子どもたち3人は,全員成人しても落ち着く様子はありません。 

結構ネタバレ シーズン1ダイジェスト

この映像の冒頭で話しているのがクリエーターのジル・ソロウェイ。物語は彼女の実体験がベース。 02:22で話しているのがアーンストとドラッカー。

そして何度見ても飽きない、アーンスト制作のオープニング映像。60~90年代のホームビデオやドキュメンタリー映画から集めたクリップが色とりどりの打ち上げ花火の様に次々と美しく輝きます。
制作チームに多くのトランスジェンダーを起用している『トランスペアレント』。アーンストはそのスピンオフのような形で『This Is Me』というミニドキュメンタリーも制作し、ドラッカーも共同プロデューサーとして関わっています。実在のトランスの人々やジェンダーを選ばない人々により、彼らに立ちはだかるトイレ問題、暴力や友情などのトピックが紹介されます。こちらも日本のAmazonプライムで字幕付きストリーム中!邦題は『ディス・イズ・ミー ~ありのままの私~』1回5分前後でさらっと観れます。

絶好調のアーンストは、アメリカにおけるトランスジェンダーの歴史についてのミニドキュシリーズ『We’ve Been Around』でクリエーターを務め、トランスの歴史における先駆者的な人物やイベントをイラストやアーカイブ映像とともに鮮やかに紹介しています。

『Dear Lou Sullivan』と比べ、よりストレートに表現されているルー・サリバンの人生やストーン・ウォールの反乱の仕掛け人シルビア・リベラ(Sylvia Rivera)とマーシャPジョンソン(Marsha P. Johnson)について(このエピソードは今年のOut fest(LAの映画祭)で観客賞を受賞。)などがエピソードとして描かれています。 
『トランスペアレント』にも出演しているアレクサンドラ・ビリングス (Alexandra Billings)などが声の出演者に名を連ね存在感を発揮。各エピソードは「私たちはずっと存在してきた!」というシンプルで強いタイトル名で終わります。このシリーズはあまり知られていない歴史をただふりかえり、描くだけではなく、それが消された過去、そして今でもトランスの人々の功績や存在が紹介されないことへのアクションでもあります。 

ドラッカーは、パフォーマンスアーティストでもあり自らのファインアート写真やビデオ作品に登場したり、ポップカルチャーを皮肉ったトークイベントも美術館などで行ったりしています。現在は、アメリカで話題のケイトリン・ジェンナーの生活を追った人気のリアリティTV『~アイ・アム・ケイト~女性になったカーダシアン家のパパ 』にも出演中。 

そして今夏、忙しくなったふたりは原点を振り返るように作品『Relationship』を写真集として発売しました。160ページに及ぶ本についてドラッカーはこう説明しています。「わたしたちはみな一緒に変化し続けている。これはLAに住む、異なったジェンダーを持つ、あるトランスジェンダーカップルのストーリーです。」
その写真集から9枚のイメージをご覧ください。

 

彼らが制作した映像作品『Dear Lou Sullivan』(日本語字幕付き)はこちらでご覧になれます。
http://normalscreen.org/alternateendings

 

 

ペドロ・サモラのリアル リアルワールド

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このエッセイは、マイ・バーバリアンのビデオ作品『Counterpublicity』をより深く鑑賞するために、主題である人物ペドロ・サモラについて紹介するものです。

1992年、まだミュージックビデオが流れ、活気のあった当時のMTVが制作した人気番組『Real World』が放送を開始する。『Real World』は世界で最も長く続いているリアリティTV。

シーズンごとに20代中頃までの7~8人がオーディションで選ばれ、慣れない土地で同じ家に住み、与えられた仕事をこなしたり、パーティーをしたり、ケンカをしたり、恋に落ちたり、という姿を捉えただけのシンプルな内容。特徴は、性別、人種、宗教、セクシャル・オリエンテーションなど境遇の違う人々が選ばれるという点でLGBTQの“キャスト”もほぼ全てのシーズンに一人はいる。

youtube.com

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同じころ、ペドロ・サモラという青年がいた。 

既に全米の学校や教会などを回りエイズについての教育に尽力していた彼は、メディアの注目も集めていた。そんな時、ペドロは『Real World』の存在を知る。ワシントンD.C.で行われたプライドイベントで出会ったエイズ教育者ショーン(Sean Sasser)から、当時話題だった『Real World』を通して全米に向かってHIV/エイズの知識を広めることを勧められる。啓蒙活動では移動が多く、体力的に疲れを感じていたペドロは、早速、MTVにオーディションテープを送ることを決意する。シーズン3の舞台はサンフランシスコ。

彼は当初から自らの経験と存在を通しアメリカに変化を与えるために、戦略的にテレビ出演を考えていた。

1994年2月。出演が決まり、西海岸の港町についたペドロは22歳。ゲイであること、HIVポジティブであることを明らかにし、ルームメイト半数のサポートを受けつつも、他のメンバーから直に差別を受けた。それでも彼はエイズに関する正確な知識を丁寧に共有し続けた。

アメリカのテレビで、オープンにゲイの青年が笑顔で出演することすら滅多になかった90年代初め。しかし、彼はその上、ラテン系であり、人種的にも少数派だった。そして、HIVポジティブ。エイズに関して、今以上に恐怖心や差別も激しかった時代に彼の存在が与えた影響は凄まじかったに違いない。

それだけではない(!)、ペドロはプロデューサーの承諾を受け、カメラなしでサンフランシスコに住んでいたショーンと再会。2人は恋に落ち、ショーンは彼らの家によく訪れ、仲睦まじい2人の姿も全米に放送された。そして、2人は愛を誓う小さなセレモニーを行う。カメラの前でペドロとキスをするショーンは、黒人であったこともあり、当時の社会にとってそのイメージは、さらに新鮮だった。このカップルは、アメリカのポップカルチャー史においても重要な出来事となった。

約4ヶ月に及んだサンフランシスコでの滞在(収録)が終了した直後から、その様子は20エピソード(各30分)に渡って全米に放送された。その間、ペドロの体調は急激に悪化。最終回が放送されたのは11月10日。その数時間後、クリントン大統領(当時)の配慮でキューバから難民としてアメリカに渡ったばかり3人の兄弟(14年ぶりに再会)を含む家族の見守るなか、ペドロはマイアミの病院で息を引き取った。

ペドロがでHIV感染を知ったのは、彼が17 歳のときだった。後に、自らが公の前に出ることで、HIV/エイズの知識とそれと生きる人間の力になれると考え行動を始めた。MTVという大企業と多数派の流れにのまれず活躍したその姿は、主にアメリカにおける白人以外のクィア・アイデンティティや表現者について研究をした社会学者ホゼ・ムニョス(彼もキューバ出身)のエッセイ『Pedro Zamora's Real World of Counterpublicity: Performing an Ethics of the Self』においても、その非公共性の動きが評価される。

ムニョスは2013年に他界。その追悼イベントのためにパフォーマンス集団My Barbarianがそのエッセイを映像化した。そこで彼らが引用するペドロの言葉は切なく響く。同時に、自分ならではの命を自ら考えて生きる選択肢の存在を訴えているようにも感じられる。

「僕はきっと30歳までもたない
きっと30歳を迎える前に死ぬ
でも もちろんそれは統計的なはなしで 
常に自分に言い聞かせないといけないことは
僕は統計ではないということ
自分の人生に 
何らかの意味を見出さなければならないんだ」

燦然たる存在

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ALTERNATE ENDINGS』 と合わせての鑑賞をおすすめするビデオを紹介します。

Visual AIDSが2015年のDay With(out) Artで発表したこの作品『RADIANT PRESENCE』です。HIV/エイズをもつアーティストによる作品の莫大なデータベースArtist + Registryから、9人のアーティスト、アクティビスト、キュレーターが選んだ作品とともに、現在のHIV/エイズに関する統計や衝撃的な事実が織り込まれています。

 

これまでに3900万人がエイズ関連の病で亡くなっている。

今日 HIVとともに生きる人の数は 世界で3600万人。

HIVと生きる人のうち その41%だけが治療を受けることができている。

アメリカでは HIVの治療費は年間 36,000ドルにおよぶこともある。

HIVと生きる人の半数は50歳以上。2020年にこの数は70%に達する。

2010年、24歳以下のHIVをもつ若者の半数は、自らが陽性であることを知らなかった。

アメリカで 白人以外の女性におけるHIV感染の可能性は白人女性の20倍である。

アメリカでもっとも急速にHIV陽性者が増えている層はトランスジェンダーの女性である。

過去にHIV陽性者が、同意上のセックス、嚙みつく、唾をはいたという行為を理由に、アメリカの36州で起訴されている。

2015年、他者にHIVの「罪なる暴露をした」と23歳のマイケル・ジョンソンに懲役30年が科された。

HIVを罪にすることはリスクや被害のはなしではない。スティグマの問題だ。

エイズは終わらせられる

RADIANT PRESENCEは2015年12月1日にウェブ上で公開され、その3日後にニューヨークを中心に数ヶ所で投影されました。本作は1990年に制作されたスライドショー『Electric Blanket』にインスパイアされており、Electric Blanketも当時、ニューヨークのクーパー・ユニオン(大学)で投影されたことに由来しています。ナン・ゴールディンやピーター・ヒュージャー、アレン・フレームなどの写真200点とエイズに関するテキスト、データ、スローガンから構成され、日本でも1994年に行われたエイズ国際会議に合わせて横浜で投影されたそうです。

マイアミやサンフランシスコのカストロ・シアターに加えて、下のビデオでは2015年にRADIANT PRESENCEがニューヨークで投影されたときの様子が記録されています。グッゲンハイム美術館、メトロポリタン美術館、そして、東海岸で最もエイズ患者が入院していたセント・ビンセント病院(現在は外壁を一部残しつつ同地に高級マンションが建設中)の外壁に様々な真実が眩しく映されています。

ヴィジュアル・エイズとは

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ART. AIDS. ACTION.

これはVisual AIDS(ビジュアル エイズ)のスローガンです。

英語で visual aid(ビジュアル エイド)というと教育現場などで使われるスライドや表を使った視覚資料のこと。それとかけてつけられたこの名前通り、彼らは現在でもHIVとともに生きるアーティストのために情報提供や支援などを通しサポートし、アートでエイズに対する偏見や問題と戦い続け、そして亡くなったアーティストの偉業の保存にも尽力しています。

1988年秋に数ヶ月におよぶ準備を経てアメリカ合衆国のニューヨークで発足したVisual AIDS。 創設者はアート批評家でライターのロバート・アトキンズ、キュレーターのゲリー・ガレルス、トーマス・ソコロフスキ、ウィリアム・オランダー(1951-1989)の4人でした。 同年末の報告では、アメリカでのエイズ感染者数合計は82,362人、死亡者61,816人。すでに次々と友人たちをエイズで失っていた彼らは、アートコミュニティにおけるエイズの影響を記録しようと試みます。 彼らは、「レッドリボンプロジェクト」や「Day Without Art」、街のランドマークなどの灯りを消す「Night Without Light」などのプロジェクトを企画し、アートとエイズコミュニティを一つにしていきました。 パネルディスカッション、展覧会、フォーラム、レジデンシー、出版などを通しエイズへの関心を高めHIVの問題について会話を絶やさず、HIVやエイズとともに生きるアーティストを支援しています。

 


1994年からはアーティストの作品や活動の保存と公開も始まりました。これは、HIV/エイズのアーティスト情報データベースとしては最大で、アーティスト、キュレーター、教育者、研究者、学生などが展覧会や出版物及びインスピレーションのために利用しています。 これらの資料をデジタル化したオンライン上のアーカイブプロジェクト「Artist+Registry」も2012年に始動。 このデータベースはエイズに関するアート、アートを使った運動、そしてHIVと生きながら制作を続けるアーティストの重要性を教えてくれます。 そしてエイズによって亡くなったアーティストの偉業を保存すると同時にアーティスト側もデータベースを通し、世界に向けて活動を発信することができるのです。

団体理念としては、以下のことが掲げられています。
・効果的なエイズに関する現状改善の訴え(AIDS advocacy)によって、根深い部分で関連する問題(貧困、ホモフォビア、人種差別、民族差別など)の広まりを抑える。
・我々の活動は、HIV/エイズとともに生きる人々の可視化、尊厳、権利を確認・肯定するものである。
・HIV/エイズ予防とはハームリダクションのことであり、科学によって示される。 イデオロギーではない。
・我々はレッドリボンプロジェクトとDay With(out) Artのような、アートを通した運動の歴史を基盤としている。
・Visual AIDSは、一般に開かれ、誰でも参加できるアートを奨励する。
・反映と議論と行動を助長し推進するというリスクをおうアートを信じている。

 

 

現在、数多くあるコンテンポラリーアート団体のなかで、この問題に全力を尽くす唯一の団体であるVisual AIDS。  彼らは、アートを武器として選んだのです。

EVENT REPORT- ALTERNATE ENDINGS Screening + Talk

3月21日に東京・新宿2丁目のコミュニティセンターaktaでNormal Screen3回目の上映+トークが行われました。

よく晴れた振替休日の夕方、aktaをよく訪れる方も初めてていう方も集まり、おかげさまで会場は満席状態!aktaを代表して「メイク薄め」のマダム ボンジュール・ジャンジさまが会場をあたため、Normal Screenの秋田祥から上映作品について簡単な背景の説明をさせていただきました。以下にまとめます。

*ニューヨークで25年以上活動を続ける非営利のアート団体Visual AIDSが2014年に上映したアメリカの作家7組による短編映像7本。
・Visual AIDSは、アートコミュニティにおけるエイズの影響を記録するために1988年に発足。
・団体はアーティストのみならずアートコミュニティもオーガナイズする。
・他に、HIV/エイズとともに生きるアーティストのサポートやディスカッションの場を提供したり、アーカイブおよびオンライン上データベースも運営している。
*1989年からは「Day Without Art」をスタート。
・800以上の団体、美術館、ギャラリーなどが参加し、実際に建物を閉館にしたり、照明をおとし、作品に暗幕をかけるなどした。
・今回はそのDay With(out) Art の25周年を記念し、団体がコミッションした作品群でプログラムは『ALTERNATE ENDINGS』と題された。
・作品は2014年12月にアメリカを中心に60カ所以上の美術館や大学で上映された。

アクタで作っていただいた素敵なフライヤー。

アクタで作っていただいた素敵なフライヤー。

暖かさと緊張感が共存する作品。合計約43分の上映が終わり、ここからは『BL進化論』という本を2015年に出版され、他に映画やクィアアートについても詳しい溝口彰子さんがそれぞれの作品に対する感想や関連する情報、思い出を語ってくれました。

作品と作家に関する細かい詳細は後日こちらにアップするので割愛しますが、溝口さんはライル・アシュトン・ハリスが86年から96年に撮影した写真で構成される『Selections from the Ektachrome Archive』に大学院時代の恩師であるダグラス・クリンプを見つけ、そのエピソードは会場と作品の距離を縮めてくれたように感じました。溝口さんとジャンジさんは1994年に横浜で行われた国際エイズ会議に参加されており、当時あわせて上映された『Electric Blanket』も思い出したそうです。

『Electric Blanket』とは、ナン・ゴールディンやピーター・ヒュージャーなどの作家による写真や言葉をまとめVisual AIDSが制作した作品で、病院や美術館、大学の外壁に投影されたものです。

ジャンジさんは懐かしい雰囲気のハリスの写真を眺め、「匂い」を感じ、京都にいたダムタイプの古橋悌二、国際エイズ会議、などの記憶を振り返りながら「なぜわたし今ここにいるんだっけ?」と、現在の自分を意識したそうです。

溝口さんは近頃、アートと性的なこと、倫理、欲望についてちょうど考えていたそうで、ほかに、SMを連想させるジュリー・トレンティーノの作品『evidence』からは、トレンティーノのコラボレーターであるキャサリン・オピーの来日時に溝口さんがインタビューをされたというエピソードをシェアしていただきました。その会話は当時の『美術手帖』(1997年6月号 (Vol.49 No.742) p.18-27)によるものだったそうで、セクシャリティについてももちろん話されたそうですが、一般的には、目新しく、おしゃれなものとして消費されたのではと指摘し、似たように、現在でも表現者にとって重要な性の部分をぼやかそうとしたり、深く見つめようとしない場面もあると懸念されています。

会場からは、「ぷれいす東京」の生島さんから「なぜVisual AIDSはこのような活動をしているのか」という問いが出ました。急ぎ足に上映をスタートしたので、ここでVisual AIDSの活動趣旨についてお話させていただきました。Visual AIDSはHIV/エイズとともに生きるアーティストのサポートをしつつ、HIV/エイズに関する会話を途絶えさせないように活動し、また歴史を単純化させずに、HIV/エイズをとりまく複雑な感情やその歴史と記憶の多様性と複雑性を伝えていこうと活動しています。特にアメリカではレーガン政権下における、セクシャルマイノリティに対する差別と怠慢により絶たれた命が多くあります。その事実はもちろん、それに対するアクティビズムと並行して存在した、その時を生きた人々の体験は多様で結論のあるシンプルなストーリーに集約されるべきではない。そしてその経験は続いているし、忘れてはいけない。解決していない問題も多い。しかし同時にジャンジさんが言われたように、世界的には「(HIV/エイズを)終わらせる」という方向に向かっている、というようにHIV/エイズを取り巻く状況も、PrEPなどの登場により大きく変わってきている。そういう状況のなかで彼らは活動し、アートの力をもってそれらを見つめ、伝えようとしているのだと思います。

質問をくださった生島さんが代表を務めるぷれいす東京や、当イベントの会場で共催のコミュニティセンターaktaではHIV/エイズとともに生きる人々に向けた情報提供やサポート、会話の場を設けるなどの活動を行なっており、このVisual AIDSの活動にも共鳴されることが多いのではないかと思います。

ACT UPの有名なスローガンに「Silence=Death」(沈黙=死)があります。それは様々なことに言えることで、「自分たちで考えていかないといけない」のだ、とジャンジさん。

続けて、トム・ケイリンの『Ash』の最後で引用されるマルセル・プルーストの言葉を溝口さんとともに思い返します。

少しの夢を見ることが危険なら
夢をみないことがその解決ではない
もっと夢を見るべきなのだ
四六時中 夢を見るのだ

好きな人のことを思う。見たこともないものを想像する。考えることを止めないことで広がる可能性がある。そう感じることができた特別な夜となりました。

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イベント後の溝口さんのツイート。

 

この企画は共催であるNPO法人aktaの皆さんに協力していただき実現しました。トークゲストの溝口彰子さんには事前に情報提供や作品の翻訳にたいするアドバイスをいただき、Visual AIDSには日本語字幕版制作にあたり、作家全員とのリエゾンも担っていただきました。

この場をもって、皆さんにあらためて感謝いたします。

会場で配布した資料。

会場で配布した資料。