針と糸で繋ぐ。アーティスト ジャッカイ・シリボ

テキスタイルを中心とした作品制作を続けるタイを代表する現代アーティストがバンコクにいます。彼の名はジャッカイ・シリボ。ノーマルスクリーンはアーティストの自宅兼スタジオを訪ねました。丁寧に迎え入れてくれたジャッカイはタンクトップとショートパンツのラフなスタイルながら凛とした佇まい。

過去には、バンコク、香港やニューヨークで展示および紹介され、2011年タイでの展示では宗教と現代タイ社会の関係を意識した作品を発表しています。日本語で紹介されるのはこれが初めてとのこと。

彼が生まれ育ったタイは、仏教の国というイメージの強い場所ですが、歴史を辿ればアニミズムが核。現在も時間をかけてゆっくりとタイの文化をみつめれば、様々なことがアニミズム的だとジャッカイは言います。「僕は仏教徒というよりアニミストだ。それがルーツで太陽や霊、スピリット、風や水を讃えてきた。その状況を、それも仏教だという人もいる。世の中には他の宗教の影響を受けているものも多いが、それは違う。そういうことをテーマにしたんだ。」

深く究極的であるアニミズの上に重なる仏教の文化とそれを取り巻く政治や産業。ジャッカイはそれをシリーズ『Karma Cash & Carry』で表現しているようです。

 

「針や糸、布、刺繍、繰り返しの多いテクニック。それらのシンプルな要素だけでどこまでいけるか自分への挑戦なんだ。それがテキスタイルアートの魅力だ。」

ジャッカイはアメリカのフィラデルフィア大学でテキスタイルデザインを学びました。工芸的で技術面に重点を置いたバンコクの教育とは違い、アメリカの学校で注目されたのは学生それぞれのスタイル。帰国後、バンコクのタマサート大学で教壇をとりながら、初めて自らの作家活動を開始します。 それ以来、彼は、実際には多様なタイの宗教とその中における仏教の勢力に強い関心を持ってきました。そしてそれはもちろんタイの政治と自らのアイデンティティと向き合うことでもあったのです。

2014年の香港のアートバザールでは『78』という新作を発表します。これはマレーシア系ムスリムの住民が多い、タイ南部の小さな村トクバイで起こった事件から触発され制作されたもの。2004年10月25日、イスラム教分離派を制御するための武装品を盗んだとして6人が逮捕されたことに怒った住民が警察署前でプロテストを起こしました。そこで警察が7人を射殺。やがて、軍が登場しプロテストをしていた市民1300人が拘留され、うつぶせでトラックへ積むように乗せら、5時間におよぶ移動中に78人が死亡。当時の首相タクシン・チナワットは78人の死因をラマダンで体力が落ちていたせいだと発言し、事故として扱われます。

「タクバイにはタイの他の地と違った編み物の伝統がある。食事も美味しく、場所もとても美しい。だから大学で教えていたとき、学生をつれて時々訪れていた。でも2004年に3つも事件があり、危険ゾーンとして扱われるようになった。」 

制作のためのリサーチでは、過去のことは忘れて前進したいと考える住民にも会った、とジャッカイ。しかし、こんな過去を忘れて本当の意味での前進はありえないと信じています。『78』という作品は高さ幅3mを超える巨大な作品で四方を布で囲われた内部に入ることができ、それはサウジアラビアのメッカにある最高位の聖殿カアバをモチーフにしています。

「当時彼らには1、2、3、4という具合に数字だけが与えられた。家族が見つからなかったものもいる。このストラクチャーは神聖で宗教的な建築物のようでもある。でも僕は無くなった人のメモリアルを作っていたんだ。布にはアラビア語で1から78までの数字の刺繍が施されている。この事件はタイで起こった。でも世界的に言えるのは、違った文化と宗教に対する理解が足りないということだ。」

「僕はここでイスラム教と仏教の問題と向き合っている。なぜならこの問題は僕らにも影響があり、問題の一部でもあるからだ。これはここで起こっている問題だけど、欧米でも似たような移民問題がある。」

続けて、現在取り組んでいるプロジェクトについて話してくれました。ジャッカイが強い関心を持つ別の問題で、タイ北部やミャンマー西部に暮らすロヒンギャという無国籍状態の人々についてです。「過去にバングラディッシュやインドからイギリスによって連れてこられた人で、主にムスリム系だ。仏教徒が多くを占める地に連れてこられたわけだ。ここ数年、彼らは過激派仏教徒のターゲットになっている。そう、仏教徒に過激派がいるんだよ。彼らの家は焼かれ、殺され、難民キャンプへと送られている。だからイスラム教徒の多いマレーシアに逃げようとするが、多くは成功しない。地中海の難民問題と似ているよね。でもこのことについてニュースでも滅多に聞かれることはない。」そう説明しながら制作中の作品を見せてくれた。それらは、2017年に現代美術館、バンコク芸術文化センターでの個展で発表される。この作品のために実際に北部へ赴き、あまり知られないロヒンギャの人々の生活を見つめ、制作しています。2014年に起こったクデター以来、事実上の軍事政権下にある現在のタイで、アーティストへ及ぶプレッシャーも大きい。しかし、「作りたいものをつくれる環境にある自分だからこそできることがあると信じている。」そういう気持ちで活動している、とジャッカイ・シリボは語ってくれました。軍服を使った作品も展示する予定で、もちろん自主規制はしません。

東南アジアの伝統的な染色や刺繍も参考にしながら見つめる社会と自己と物語。 シリボの手と針と糸から想像を超える世界がこれからも広がります。

ジャッカイ・シリボ。2016年6月バンコクにて。Photo by Normal Screen

ジャッカイ・シリボ。2016年6月バンコクにて。Photo by Normal Screen

人間の欲と乾く土・注目のアーティスト タダ・ヘンサップールのタイ

Thailand Research Trip Report

バンコクを拠点に2000年代後半より主に写真作品を発表する注目の作家タダ・ヘンサップール(Tada Hengsapkul )。 彼に会い、作品について話を伺いました。 タイ国内で数多くの個展をし、海外ではオーストラリアや、アメリカ、フランスなどでもグループ展に参加しています。彼は落としたスマートフォンのようにヒビだらけのマックブックを開き、幾つかの作品について丁寧に説明をしてくれました。 その中から彼が近頃手がけたミュージックビデオをご覧ください。  

音楽は、タダの友人であるヴィムッチ(Vimutti)というバンドによるもの。タイトルを訳すと『泣きたいだけ泣いて思っ切り叫べ』。 タダが監督、撮影、編集したこの映像は、彼の写真作品に同じ光景として現れます。舞台はターダの故郷であるバンコクより北東の地コラート。映像にも登場する湖の水は随分と少ないようです。数年前まではもっと多かった水量。しかし、あることがきっかで水かさは一気に減ってしまいます。

「2011年にバンコクが浸水したの知ってる?」タダは優しい口調でこのビデオ作品について説明してくれました。「この湖の水は周辺住民が農業のためにずっと使ってきた小さな湖だ。そこに、バンコク大浸水のあと、日本の大手企業の工場が数社移動してきたんだよ。社員用の家もたくさん建てられた。もちろん大勢の人と工場が大量に水を使い、この湖の水はすぐに無くなった。そして、ここにいた企業は去って行った。地元の人たちは昔から使ってきた湖をあっという間に失ったんだ。そして、残されたこの建物のデザイン…。」
周りの環境を無視した醜い建物を指差し、苦笑いしながら私に「なぜ?」と目で問いかけます。

ぶつける先のない不満と苛立ち。怒りを通り越し、ただ見つめるだけのような写真から時間がたち、映像ではその感情が放たれます。

自然が好きだと語るタダ。彼の写真にはのどかな田舎の風景や若者を被写体としたものが多く存在します。とてもシンプルで、作品によっては一見、彼が友人と遊びながら撮影したようにも見えます。少しおかしみのある作品。しかし、もちろん、被写体の行動(死んだふり)、状態(枯れている)、着ているもの(宗教を連想させる)、持っているものなどには意味があり、その多くはタイ王国におけるバンコクとバンコク以外の地方における不平等、政治に対する不信感や不満、宗教問題を表現しています。「タイの国旗の白は仏教を意味している。タイの宗教は仏教だけじゃないのに...。」と、象徴されるものにすでに問題が見えることを指摘します。

「7年前に、当時18歳だった友人がナショナリストの集まる場で殺された。たまたまその場を訪れたあいつはライフルで撃たれ、人々はそれを見て歓喜していたんだ。その様子を僕は見た。」タダが語るそれは、暴力とともに刷り込まれる、タイ社会における抑圧の経験であり彼が向き合うテーマの一つでもあります。

検閲の厳しいタイですが、タダはそれを恐れません。「検閲されることはあるけど、自己検閲は絶対にしない。」現在の落ち着いたトーンを保ちながら、ますます注目度を高めるであろう期待のアーティストです。

タダ・ヘンサップール。2016年6月バンコクにて。Photo by Normal Screen

タダ・ヘンサップール。2016年6月バンコクにて。Photo by Normal Screen

微笑んでいられない!バンコクアートスポット

Thailand Research Trip Report

ノーマルスクリーンは2016年6月、今後の活動のためのリサーチとしてタイとベトナムへ行ってきました。いざバンコク行くぜ!と、ガイドブックを買ってもあまり載っていない現地のアート情報。検索してもパっと出てこない... ということで、まとめました!2016年夏現在のバンコクおすすめアートスペースリストです。
かっちりホワイトキューブのギャラリーから、一杯呑めるアートスペースなど形も色々で数も多いバンコクのアートシーン。その中でも、地元の人たちにも勧められたスペースを中心に紹介します。
ベタな観光でも十分楽しく刺激的なバンコクですが、現地の作家やクリエイターの表現を通すと、より深くタイが見えてくるはずです!

大きめアート空間

バンコク芸術文化センター(Bangkok Art and Cultural Center/BACC)
まずはメジャー所から。2008年に完成して以来、観光スポットのひとつにもなっている巨大美術館。BTSナショナルスタジアム駅と連絡通路で繋がっているのでアクセスも便利。地下には図書館があり、1階から4階まではカフェやレストラン、本屋、画材屋、雑貨屋などが入り、良くも悪くも、バンコクらしくクリエイティブなモールのよう。なかにはバンコク郊外にあるフィルム・アーカイブの小さなサテライトもあり、タイ映画のDVDやTシャツなどのちょっとしたグッズも。7階から9階は大きなギャラリースペースになっていて、無料で国内外の注目の現代アーティストの作品がビッグスケールで見ることができる。1階のカフェでは現地の作家などが集ったりしていていい感じ。ここでBAM!ことバンコクアートマップ(無料)をゲット!
住所:939 Rama 1 Rd., Bangkok
https://www.facebook.com/baccpage

バンコク現代美術館(MOCA BANGKOK)
大富豪ブンチャイ・ベンチャロンクンのコレクションを展示した5階建の美術館。やや街はずれにあるためタクシーで行くのが便利。時間があればトライしたい。
住所:499 Kamphaengphet 6 Road, Ladyao, Chatuchak, Bangkok
 

なにかしでかしてくれそうなアート空間

ブリッジ(Bridge)
バンコクで駅から汗をかく前にたどり着ける数少ないアートスペース。サパーンタクシン駅の近くにあり1階はカフェバーになっている。発起人はイギリス出身のダン・バーマン。1階カフェスペースも天井が高く作品をを展示できる壁と空間がある上に、2階と3階もギャラリーになっているので、いわゆるカフェギャラリーとは一線を画す。上映会も音楽イベントもするというこの空間は、柔軟に様々な表現やアートコミュニティを受け入れているそう。運が良ければ屋上にも行けるかも。
住所:Charoen Krung Soi 51, Yan Nawa, Sathorn, Bangkok

ターズ ギャラリー(TARS Gallery)
2015年にオープンしたアーティスト ラン スペース(TARSという名前はThe Artists Run Spaceの略)。レジデンシーもやっているものの、まだ若い団体なので助成金を得た作家の活動先として場所を提供したり、状況に合わせて活動しているという。もともと3人で始めたが、現在は2人:ピエ・ベコンは元パフォーマーで今はキュレーションに集中し、ポッチャ・ワラサブは写真を使う作家。このスペースは週に3日だけオープンし、それ以外は予約制。 
住所:3 Soi Srijun, Sukhumvit Soi 67, Bangkok

H ギャラリー(H Gallery)
タイアートについて執筆もするアイルランド人ブライン・カーティンがキュレーションを努めるギャラリー。2002年オープン。
住所:201 Sathorn Soi 12, Bangkok
https://www.facebook.com/H-Gallery-115934944151/

ジャム(JAM)
バンコクで人気のクィアフレンドリーなバー。2階にはギャラリースペースがある。過去に、日本人ミュージシャンやDJも多くパフォーマンスしているらしい。ダンスや映画上映イベントが行われていたらラッキー。何もなければまったり飲んでオーナーのディエンやローカルと話すのも楽しい。
住所:41 Charoen Rat Soi 1, Bangkok

実験する大学内アートスペース

バンコクの作家やキュレーターにも評判の大学内のアートスペース。キャンパスの雰囲気も日本の大学とは違って面白い。

チュラロンコーン大学アートセンター(Art Center at Chulalongkorn University)
タイの東大ことチュラロンコーン大学内にあるアートスペース。図書館のビルの最上階にあり、BACCからも遠くない、けどキャンパスが巨大なので時間と体力のゆとりを持っていきたい。展示空間は大きくない。このビルの1階には小さなカフェあり。
住所:7th Floor, Office of Academic Resources, Chulalongkorn UniversityPhyathai Rd, Pathumwan, Bangkok
https://www.facebook.com/theartcenterchula/

シラパコーン大学アートセンター(Art Center at Silpakorn University) 
イタリア人彫刻家シン・ピーラシーなどによって創設された国立大学にあるアートセンター。彼はタイに西洋アートを持ち込んだ人物として今でも親しまれている。2階におよぶ展示空間で大々的なグループ展などが行われる。王宮から道を挟んですぐ北にあるので観光ついでに行きやすい。
住所:31 Silpakorn University, Na Pra Larn Road, Phra Nakorn District, Bangkok
https://www.facebook.com/ArtCentre.SilpakornUniversity

バンコク大学ギャラリー(Bangkok University Gallery) 
タイで初めての私立大学にあるギャラリー。キャンパスの雰囲気も上の2つと随分違う。
住所:Fl.2-4 BU International College Builing (Bld.7)

ある程度知られた作家の作品を展示するギャラリー

タドゥ コンテンポラリー アート(Tadu Contemporary Art)
住所:Thaiyarnyon Building, Soi Sukhumvit 87, Bangkok(三菱自動車ショールーム2階)

ジムトンプソンの家・アートセンター(The Jim Thompson House and Art Center)
タイのシルク文化を産業化したアメリカ人ジム・トンプソンの豪邸すぐ手前にあるギャラリー。人気観光スポットの邸宅だが、ギャラリーは2003年より現代アート作家を紹介する立派な空間。BACCから徒歩6分ほど。
住所:6 Kaseman Soi 2, Rama 1 Road Bangkok

シティシティギャラリー(CityCity Gallery)
真っ白な壁の照り返しに、負けない覚悟で挑みたい。流行りのものが見れる可能性高め。
住所:13/3 Sathorn Soi 1, Bangkok

ノヴァ コンテンポラリー アート(Nova Contemporary Art)
2016年4月にオープンしたばかりのギャラリー。広島のみやうち芸術文化振興財団が関係している『Today Is The Day: The Proposition Of Our Future』が記念すべき1回目の展示だった。今後の展開が楽しみ。
住所:Soi Mahadlekluang 3, Rajdamri Rd., Lumpini, Pathumwan Bangkok (バーン ソムタヴィン コンドミニアム1階) 

もっと見たい!その他クリエイティブ空間

ジャム ファクトリー(JAM Factory) 
ゆったりとした空間に本屋、ギャラリー、インテリア雑貨屋などが入る。バーのJAMとは無関係。なかでも本屋Candide Booksには、小説やアート系の本が並び見ているだけでも楽しい。広い中庭でマーケットやコンサートを催すこともある。駅から歩いて行くには遠いのでタクシーが便利。時間があるときにオススメ。
住所:41/1-41/2 Charoen Nakorn Rd., Bangkok

トゥー ヤン アート センター(Toot Young Art Center)
住所:Ekkamai 2 Alley, Phra Khanong Nuea, Watthana, Bangkok
https://www.facebook.com/TootYungArtCenter/

スピーディ グランマ(Speedy Grandma)
住所:672/50-52 Charoenkrung Soi 28, Bangkok

ソイ ソース ファクトリー(Soy Source Factory)
チャイナタウンの元醤油工場を利用したギャラリーで写真の展示が多い。レストランもある。経営者はスピーディ グランマと同じ。
住所:11/1 Charoenkrung Soi 24, Bangkok

WTF ギャラリー&カフェ
ギャラリーは3PM、カフェは6PMにオープン。
住所:7 Sukhumvit Soi 51, Bangkok
 

現地でよく聞いたスポットは以上です。
ちなみに、ほとんどのアートスペースは月曜閉館!お気をつけて。

 

All Photos by Normal Screen.

リース・アーンストとザッカリー・ドラッカーの関係

CONTEXT for ALTERNATE ENDINGS

Relationship, #23 (The Longest Day of the Year) 2011 © Zackary Drucker & Rhys Ernst | Courtesy of the artists and Luis De Jesus Los Angeles | Prestel

Relationship, #23 (The Longest Day of the Year) 2011 © Zackary Drucker & Rhys Ernst | Courtesy of the artists and Luis De Jesus Los Angeles | Prestel

Dear Lou Sullivan』を制作したアーティスト、リース・アーンスト(Rhys Ernst)とザッカリー・ドラッカー(Zackary Drucker)の活動を紹介します。

日本では滅多に名前を聞く機会のない二人ですが、アメリカでは、ポップカルチャーとの距離も近いアーティストということもあり、知名度は上がっています。
1980 年代生まれの2人はカリフォルニアを拠点に、よく共同で作品を制作。その代表は2014年に発表された『Relationship』です。当時、恋愛関係にあった2人 が、日常と性転換する様子を6年間にわたり記録したこの写真はホイットニー美術館の由緒あるバイアニュアル展に選出されたことをきっかけに注目を集めました。ドラッカーが男性から女性へ、アーンストが女性から男性へ。互いにトランスである彼らの親密な時間の描写と変化は、トランスジェンダーに関する議論 や表象の増える現代において重要な作品としてとりあげられました。

時を同じくして,2013年の制作開始から2人がプロデューサーとして参加している、ドラマ『トランスペアレント』が話題になります。

1回30分のシリーズで、日本のAmazonプライムでもストリーミングされています。 クリエーターは、『シックス・フィート・アンダー』などの上質なドラマやインデペンデント映画で活躍していたジル・ソロウェイ(Jill Soloway)。「このドラマが売れなかったら映画にするつもりだった」という発言にもある通り、まるで映画のようなスタイルときめ細かさで人気を博し、2015年にはゴールデングローブ賞のテレビ・コメディー部門で最優秀作品賞を受賞。コメディーと言っても,日常にある“可笑しみ”が笑えて、はっとして、グッとくる。また、同年のエミー賞でも11部門でノミネートされました。現在はシーズン2のストリーミングも始まっており,シーズン2も今年のエミー賞10部門でノミネート! 

このドラマの中心となるのは、現在のロサンゼルスに住む裕福なユダヤ系の家族。ジェフリー・タンバーが熱演する、定年した父親「モート」が「モーラ」になるところから物語は始まります。子どもたち3人は,全員成人しても落ち着く様子はありません。 

結構ネタバレ シーズン1ダイジェスト

この映像の冒頭で話しているのがクリエーターのジル・ソロウェイ。物語は彼女の実体験がベース。 02:22で話しているのがアーンストとドラッカー。

そして何度見ても飽きない、アーンスト制作のオープニング映像。60~90年代のホームビデオやドキュメンタリー映画から集めたクリップが、色とりどりの打ち上げ花火の様に、次々と美しく輝きます。
制作チームに多くのトランスジェンダーを起用している『トランスペアレント』。アーンストは,そのスピンオフのような形で、『This Is Me』というミニドキュも制作し、ドラッカーも共同プロデューサーとして関わっています。実在のトランスの人々やジェンダーを選ばない人々により、彼らに立ちはだかるトイレ問題、暴力や友情などのトピックが紹介されます。こちらも日本のAmazonプライムで字幕付きストリーム中!邦題は『ディス・イズ・ミー ~ありのままの私~』1回5分前後でさらっと観れます。

絶好調のアーンストは、アメリカにおけるトランスジェンダーの歴史についてのミニドキュシリーズ『We’ve Been Around』では,アーンストがクリエーターを務め、トランスの歴史における先駆者的な人物やイベントが,イラストやアーカイブ映像とともに鮮やかに紹介されています。

『Dear Lou Sullivan』と比べ、よりストレートに表現されているルー・サリバンの人生や,ストーン・ウォールの反乱の仕掛け人シルビア・リベラ(Sylvia Rivera)とマーシャPジョンソン(Marsha P. Johnson)について(このエピソードは今年のOut fest(LAの映画祭)で観客賞を受賞。)などが、エピソードとして、描かれています。 
『トランスペアレント』にも出演しているアレクサンドラ・ビリングス (Alexandra Billings)などが声の出演者に名を連ね、存在感を発揮。各エピソードは、「私たちはずっと存在してきた!」というシンプルで強いタイトル名で終わります。このシリーズは、あまり知られていない歴史をただふりかえり、描くだけではなく、それが消された過去、そして今でもトランスの人々の功績や存在が紹介されないことへのアクションでもあります。 

ドラッカーは、パフォーマンスアーティストでもあり、自らのファインアート写真やビデオ作品に登場したり、ポップカルチャーを皮肉ったトークイベントも美術館などで行ったりしています。現在は、アメリカで話題のケイトリン・ジェンナーの生活を追った人気のリアリティTV『~アイ・アム・ケイト~女性になったカーダシアン家のパパ 』にも出演中。 

そして今夏、忙しくなった2人は,原点を振り返るように作品『Relationship』を写真集として発売しました。160ページに及ぶ本についてドラッカーはこう説明しています。「わたしたちはみな一緒に変化し続けている。これはLAに住む、異なったジェンダーを持つ,あるトランスジェンダーカップルのストーリーです。」
その写真集から9枚のイメージをご覧ください。

 

彼らが制作した映像作品『Dear Lou Sullivan』(日本語字幕付き)はこちらでご覧になれます。
http://normalscreen.org/alternateendings

 

 

ペドロ・サモラのリアル リアルワールド

CONTEXT for ALTERNATE ENDINGS

このエッセイは、マイ・バーバリアンのビデオ作品『Counterpublicity』をより深く鑑賞するために、主題である人物ペドロ・サモラについて紹介するものです。

1992年、まだミュージックビデオが流れ、活気のあった当時のMTVが制作した人気番組『Real World』が放送を開始する。『Real World』は世界で最も長く続いているリアリティTV。

シーズンごとに20代中頃までの7~8人がオーディションで選ばれ、慣れない土地で同じ家に住み、与えられた仕事をこなしたり、パーティーをしたり、ケンカをしたり、恋に落ちたり、という姿を捉えただけのシンプルな内容。特徴は、性別、人種、宗教、セクシャル・オリエンテーションなど境遇の違う人々が選ばれるという点でLGBTQの“キャスト”もほぼ全てのシーズンに一人はいる。

youtube.com

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同じころ、ペドロ・サモラという青年がいた。 

既に全米の学校や教会などを回りエイズについての教育に尽力していた彼は、メディアの注目も集めていた。そんな時、ペドロは『Real World』の存在を知る。ワシントンD.C.で行われたプライドイベントで出会ったエイズ教育者ショーン(Sean Sasser)から、当時話題だった『Real World』を通して全米に向かってHIV/エイズの知識を広めることを勧められる。啓蒙活動では移動が多く、体力的に疲れを感じていたペドロは、早速、MTVにオーディションテープを送ることを決意する。シーズン3の舞台はサンフランシスコ。

彼は当初から自らの経験と存在を通しアメリカに変化を与えるために、戦略的にテレビ出演を考えていた。

1994年2月。出演が決まり、西海岸の港町についたペドロは22歳。ゲイであること、HIVポジティブであることを明らかにし、ルームメイト半数のサポートを受けつつも、他のメンバーから直に差別を受けた。それでも彼はエイズに関する正確な知識を丁寧に共有し続けた。

アメリカのテレビで、オープンにゲイの青年が笑顔で出演することすら滅多になかった90年代初め。しかし、彼はその上、ラテン系であり、人種的にも少数派だった。そして、HIVポジティブ。エイズに関して、今以上に恐怖心や差別も激しかった時代に彼の存在が与えた影響は凄まじかったに違いない。

それだけではない(!)、ペドロはプロデューサーの承諾を受け、カメラなしでサンフランシスコに住んでいたショーンと再会。2人は恋に落ち、ショーンは彼らの家によく訪れ、仲睦まじい2人の姿も全米に放送された。そして、2人は愛を誓う小さなセレモニーを行う。カメラの前でペドロとキスをするショーンは、黒人であったこともあり、当時の社会にとってそのイメージは、さらに新鮮だった。このカップルは、アメリカのポップカルチャー史においても重要な出来事となった。

約4ヶ月に及んだサンフランシスコでの滞在(収録)が終了した直後から、その様子は20エピソード(各30分)に渡って全米に放送された。その間、ペドロの体調は急激に悪化。最終回が放送されたのは11月10日。その数時間後、クリントン大統領(当時)の配慮でキューバから難民としてアメリカに渡ったばかり3人の兄弟(14年ぶりに再会)を含む家族の見守るなか、ペドロはマイアミの病院で息を引き取った。

ペドロがでHIV感染を知ったのは、彼が17 歳のときだった。後に、自らが公の前に出ることで、HIV/エイズの知識とそれと生きる人間の力になれると考え行動を始めた。MTVという大企業と多数派の流れにのまれず活躍したその姿は、主にアメリカにおける白人以外のクィア・アイデンティティや表現者について研究をした社会学者ホゼ・ムニョス(彼もキューバ出身)のエッセイ『Pedro Zamora's Real World of Counterpublicity: Performing an Ethics of the Self』においても、その非公共性の動きが評価される。

ムニョスは2013年に他界。その追悼イベントのためにパフォーマンス集団My Barbarianがそのエッセイを映像化した。そこで彼らが引用するペドロの言葉は切なく響く。同時に、自分ならではの命を自ら考えて生きる選択肢の存在を訴えているようにも感じられる。

「僕はきっと30歳までもたない
きっと30歳を迎える前に死ぬ
でも もちろんそれは統計的なはなしで 
常に自分に言い聞かせないといけないことは
僕は統計ではないということ
自分の人生に 
何らかの意味を見出さなければならないんだ」

燦然たる存在

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ALTERNATE ENDINGS』 と合わせての鑑賞をおすすめするビデオを紹介します。

Visual AIDSが2015年のDay With(out) Artで発表したこの作品『RADIANT PRESENCE』です。HIV/エイズをもつアーティストによる作品の莫大なデータベースArtist + Registryから、9人のアーティスト、アクティビスト、キュレーターが選んだ作品とともに、現在のHIV/エイズに関する統計や衝撃的な事実が織り込まれています。

 

これまでに3900万人がエイズ関連の病で亡くなっている。

今日 HIVとともに生きる人の数は 世界で3600万人。

HIVと生きる人のうち その41%だけが治療を受けることができている。

アメリカでは HIVの治療費は年間 36,000ドルにおよぶこともある。

HIVと生きる人の半数は50歳以上。2020年にこの数は70%に達する。

2010年、24歳以下のHIVをもつ若者の半数は、自らが陽性であることを知らなかった。

アメリカで 白人以外の女性におけるHIV感染の可能性は白人女性の20倍である。

アメリカでもっとも急速にHIV陽性者が増えている層はトランスジェンダーの女性である。

過去にHIV陽性者が、同意上のセックス、嚙みつく、唾をはいたという行為を理由に、アメリカの36州で起訴されている。

2015年、他者にHIVの「罪なる暴露をした」と23歳のマイケル・ジョンソンに懲役30年が科された。

HIVを罪にすることはリスクや被害のはなしではない。スティグマの問題だ。

エイズは終わらせられる

RADIANT PRESENCEは2015年12月1日にウェブ上で公開され、その3日後にニューヨークを中心に数ヶ所で投影されました。本作は1990年に制作されたスライドショー『Electric Blanket』にインスパイアされており、Electric Blanketも当時、ニューヨークのクーパー・ユニオン(大学)で投影されたことに由来しています。ナン・ゴールディンやピーター・ヒュージャー、アレン・フレームなどの写真200点とエイズに関するテキスト、データ、スローガンから構成され、日本でも1994年に行われたエイズ国際会議に合わせて横浜で投影されたそうです。

マイアミやサンフランシスコのカストロ・シアターに加えて、下のビデオでは2015年にRADIANT PRESENCEがニューヨークで投影されたときの様子が記録されています。グッゲンハイム美術館、メトロポリタン美術館、そして、東海岸で最もエイズ患者が入院していたセント・ビンセント病院(現在は外壁を一部残しつつ同地に高級マンションが建設中)の外壁に様々な真実が眩しく映されています。

ヴィジュアル・エイズとは

CONTEXT for ALTERNATE ENDINGS

ART. AIDS. ACTION.

これはVisual AIDS(ビジュアル エイズ)のスローガンです。

英語で visual aid(ビジュアル エイド)というと教育現場などで使われるスライドや表を使った視覚資料のこと。それとかけてつけられたこの名前通り、彼らは現在でもHIVとともに生きるアーティストのために情報提供や支援などを通しサポートし、アートでエイズに対する偏見や問題と戦い続け、そして亡くなったアーティストの偉業の保存にも尽力しています。

1988年秋に数ヶ月におよぶ準備を経てアメリカ合衆国のニューヨークで発足したVisual AIDS。 創設者はアート批評家でライターのロバート・アトキンズ、キュレーターのゲリー・ガレルス、トーマス・ソコロフスキ、ウィリアム・オランダー(1951-1989)の4人でした。 同年末の報告では、アメリカでのエイズ感染者数合計は82,362人、死亡者61,816人。すでに次々と友人たちをエイズで失っていた彼らは、アートコミュニティにおけるエイズの影響を記録しようと試みます。 彼らは、「レッドリボンプロジェクト」や「Day Without Art」、街のランドマークなどの灯りを消す「Night Without Light」などのプロジェクトを企画し、アートとエイズコミュニティを一つにしていきました。 パネルディスカッション、展覧会、フォーラム、レジデンシー、出版などを通しエイズへの関心を高めHIVの問題について会話を絶やさず、HIVやエイズとともに生きるアーティストを支援しています。

 


1994年からはアーティストの作品や活動の保存と公開も始まりました。これは、HIV/エイズのアーティスト情報データベースとしては最大で、アーティスト、キュレーター、教育者、研究者、学生などが展覧会や出版物及びインスピレーションのために利用しています。 これらの資料をデジタル化したオンライン上のアーカイブプロジェクト「Artist+Registry」も2012年に始動。 このデータベースはエイズに関するアート、アートを使った運動、そしてHIVと生きながら制作を続けるアーティストの重要性を教えてくれます。 そしてエイズによって亡くなったアーティストの偉業を保存すると同時にアーティスト側もデータベースを通し、世界に向けて活動を発信することができるのです。

団体理念としては、以下のことが掲げられています。
・効果的なエイズに関する現状改善の訴え(AIDS advocacy)によって、根深い部分で関連する問題(貧困、ホモフォビア、人種差別、民族差別など)の広まりを抑える。
・我々の活動は、HIV/エイズとともに生きる人々の可視化、尊厳、権利を確認・肯定するものである。
・HIV/エイズ予防とはハームリダクションのことであり、科学によって示される。 イデオロギーではない。
・我々はレッドリボンプロジェクトとDay With(out) Artのような、アートを通した運動の歴史を基盤としている。
・Visual AIDSは、一般に開かれ、誰でも参加できるアートを奨励する。
・反映と議論と行動を助長し推進するというリスクをおうアートを信じている。

 

 

現在、数多くあるコンテンポラリーアート団体のなかで、この問題に全力を尽くす唯一の団体であるVisual AIDS。  彼らは、アートを武器として選んだのです。

『The Village』


Hi Tigerのデレック・ジャクソンが『The Villgae』で時折唸るように歌っている詩。

この曲のオリジナルは現在も活動を続けるイギリスのバンドNew Orderが1983年に発表したアルバム『権力の美学』に収録されている『The Village』です。

アルバムの原題は『Power, Corruption & Lies』(力、墜落、嘘)。

 

この曲の背景として考えられことですが、New Orderは前身であるJoy Division のボーカル イアン・カーティスを1980年に亡くしています。そしてエイズは、サッチャー政権でゆれていた当時のイギリスにもひろがりを見せていました。

デレック・ジャクソンは自らの経験を重ね、一部省略しながら新たな解釈とともに、このうたを歌います。

 

きみに新たな人生が訪れるとき

夜が入り江になるとき

ぼくらは永遠となる

みなそれぞれの道をいく

 

ぼくらの愛はまるで花

雨と海と時間

海に雨が降るとき

君と僕のために待っている人たちがいて

空には命の尽きるまで

大人しくしている ぼくらのイメージ

 

2日がたち 僕はまだここにいる

同じ場所 同じ時間

2年後 まだこんなとこにいる

同じ場所 違う時間

ぼくらの愛はまるで花

雨と海と時間

ぼくらの愛はまるで花

太陽と海と時間

 

木々と時間たち

 

 

EVENT REPORT- ALTERNATE ENDINGS Screening + Talk

3月21日に東京・新宿2丁目のコミュニティセンターaktaでNormal Screen3回目の上映+トークが行われました。

よく晴れた振替休日の夕方、aktaをよく訪れる方も初めてていう方も集まり、おかげさまで会場は満席状態!aktaを代表して「メイク薄め」のマダム ボンジュール・ジャンジさまが会場をあたため、Normal Screenの秋田祥から上映作品について簡単な背景の説明をさせていただきました。以下にまとめます。

*ニューヨークで25年以上活動を続ける非営利のアート団体Visual AIDSが2014年に上映したアメリカの作家7組による短編映像7本。
・Visual AIDSは、アートコミュニティにおけるエイズの影響を記録するために1988年に発足。
・団体はアーティストのみならずアートコミュニティもオーガナイズする。
・他に、HIV/エイズとともに生きるアーティストのサポートやディスカッションの場を提供したり、アーカイブおよびオンライン上データベースも運営している。
*1989年からは「Day Without Art」をスタート。
・800以上の団体、美術館、ギャラリーなどが参加し、実際に建物を閉館にしたり、照明をおとし、作品に暗幕をかけるなどした。
・今回はそのDay With(out) Art の25周年を記念し、団体がコミッションした作品群でプログラムは『ALTERNATE ENDINGS』と題された。
・作品は2014年12月にアメリカを中心に60カ所以上の美術館や大学で上映された。

アクタで作っていただいた素敵なフライヤー。

アクタで作っていただいた素敵なフライヤー。

暖かさと緊張感が共存する作品。合計約43分の上映が終わり、ここからは『BL進化論』という本を2015年に出版され、他に映画やクィアアートについても詳しい溝口彰子さんがそれぞれの作品に対する感想や関連する情報、思い出を語ってくれました。

作品と作家に関する細かい詳細は後日こちらにアップするので割愛しますが、溝口さんはライル・アシュトン・ハリスが86年から96年に撮影した写真で構成される『Selections from the Ektachrome Archive』に大学院時代の恩師であるダグラス・クリンプを見つけ、そのエピソードは会場と作品の距離を縮めてくれたように感じました。溝口さんとジャンジさんは1994年に横浜で行われた国際エイズ会議に参加されており、当時あわせて上映された『Electric Blanket』も思い出したそうです。

『Electric Blanket』とは、ナン・ゴールディンやピーター・ヒュージャーなどの作家による写真や言葉をまとめVisual AIDSが制作した作品で、病院や美術館、大学の外壁に投影されたものです。

ジャンジさんは懐かしい雰囲気のハリスの写真を眺め、「匂い」を感じ、京都にいたダムタイプの古橋悌二、国際エイズ会議、などの記憶を振り返りながら「なぜわたし今ここにいるんだっけ?」と、現在の自分を意識したそうです。

溝口さんは近頃、アートと性的なこと、倫理、欲望についてちょうど考えていたそうで、ほかに、SMを連想させるジュリー・トレンティーノの作品『evidence』からは、トレンティーノのコラボレーターであるキャサリン・オピーの来日時に溝口さんがインタビューをされたというエピソードをシェアしていただきました。その会話は当時の『美術手帖』(1997年6月号 (Vol.49 No.742) p.18-27)によるものだったそうで、セクシャリティについてももちろん話されたそうですが、一般的には、目新しく、おしゃれなものとして消費されたのではと指摘し、似たように、現在でも表現者にとって重要な性の部分をぼやかそうとしたり、深く見つめようとしない場面もあると懸念されています。

会場からは、「ぷれいす東京」の生島さんから「なぜVisual AIDSはこのような活動をしているのか」という問いが出ました。急ぎ足に上映をスタートしたので、ここでVisual AIDSの活動趣旨についてお話させていただきました。Visual AIDSはHIV/エイズとともに生きるアーティストのサポートをしつつ、HIV/エイズに関する会話を途絶えさせないように活動し、また歴史を単純化させずに、HIV/エイズをとりまく複雑な感情やその歴史と記憶の多様性と複雑性を伝えていこうと活動しています。特にアメリカではレーガン政権下における、セクシャルマイノリティに対する差別と怠慢により絶たれた命が多くあります。その事実はもちろん、それに対するアクティビズムと並行して存在した、その時を生きた人々の体験は多様で結論のあるシンプルなストーリーに集約されるべきではない。そしてその経験は続いているし、忘れてはいけない。解決していない問題も多い。しかし同時にジャンジさんが言われたように、世界的には「(HIV/エイズを)終わらせる」という方向に向かっている、というようにHIV/エイズを取り巻く状況も、PrEPなどの登場により大きく変わってきている。そういう状況のなかで彼らは活動し、アートの力をもってそれらを見つめ、伝えようとしているのだと思います。

質問をくださった生島さんが代表を務めるぷれいす東京や、当イベントの会場で共催のコミュニティセンターaktaではHIV/エイズとともに生きる人々に向けた情報提供やサポート、会話の場を設けるなどの活動を行なっており、このVisual AIDSの活動にも共鳴されることが多いのではないかと思います。

ACT UPの有名なスローガンに「Silence=Death」(沈黙=死)があります。それは様々なことに言えることで、「自分たちで考えていかないといけない」のだ、とジャンジさん。

続けて、トム・ケイリンの『Ash』の最後で引用されるマルセル・プルーストの言葉を溝口さんとともに思い返します。

少しの夢を見ることが危険なら
夢をみないことがその解決ではない
もっと夢を見るべきなのだ
四六時中 夢を見るのだ

好きな人のことを思う。見たこともないものを想像する。考えることを止めないことで広がる可能性がある。そう感じることができた特別な夜となりました。

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イベント後の溝口さんのツイート。

 

この企画は共催であるNPO法人aktaの皆さんに協力していただき実現しました。トークゲストの溝口彰子さんには事前に情報提供や作品の翻訳にたいするアドバイスをいただき、Visual AIDSには日本語字幕版制作にあたり、作家全員とのリエゾンも担っていただきました。

この場をもって、皆さんにあらためて感謝いたします。

会場で配布した資料。

会場で配布した資料。

That’s Us/Wild Combination 日本語訳 一例

映像上映シリーズNormal Screenが初めてのプログラムとして、2015年7月に東京・渋谷のアップリンク・ファクトリーで日本初上映した映画『ワイルド コンビネーション:アーサーラッセルの肖像』

映画のタイトルにもなったアーサー・ラッセルの名曲『That’s Us/Wild Combination』は劇中でも流れますが、字幕はついていません。

そこで、上映会場で配布した資料に同曲の翻訳を掲載しました。そちらをここで紹介します。

観客や翻訳者によってまた違った訳になると思いますが、そのひとつとして楽しんでもらえれば幸いです。

歌詞に登場するプール。Normal Screenが想像したのは、アメリカのモーテルにあるプールです。明日の朝、早く出発しないといけないのに、暗くなっても泳いでいる2人のイメージ。

みなさんはどのような世界をこの曲から描くのでしょうか。