グラン フューリーと『Ashes』に表れる文字のいくつか

CONTEXT for ALTERNATE ENDINGS

パラパラマンガのように流れる情景に重なる、名前や日付、フレーズの数々がトム・ケイリン自身が企画者の1人でもある「ALTERNATE ENDINGS」で発表した『Ashes』の映像に浮かび上がります。この作品を観る人によっては、その文字はただの記号にすぎないかもしれない。しかし、ケイリンやアメリカのエイズ危機を経験した人やそれに詳しい人にとっては、特定の場所や友人、当時の衝撃的なビジュアルを思い起こさせる特別なもの。この記事では、数点ではあるが、作品中に登場するそれらの日付やフレーズの背景を紹介したい。

なかでも多く登場するのが、エイズアクティビズムをポスターやビジュアルを使い行っていたグループ グラン フューリー(Gran Fury)の作品である。グラン フューリーは、エイズアクティビズムで有名なACT UP(力を解放するエイズ連合を意味する英語の頭文字)から派生したもので、映画監督であるトム・ケイリン自身も主要メンバーであった。アメリカ各地及びフランスでも活動のあったACT UPだが、団体発祥の地ニューヨークでの動きも盛んだった。マンハッタン13丁目のコミュニティセンターThe Centerで行われたミーティングにはアーティストやデザイナーも多く参加し、政府や行政に対する怒りを源に活動していた。ある日のミーティングで、ウィリアム・オランダー(現代アート美術館New Museumのキュレーター)が美術館1階の展示スペースを使って何かしたい人はいないかと提案した。それに関心を示した数名がミーティング終了後に残り、アイデアを出し合った。その成果が現在でもよく知られる「Silence = Death」がピンクトライアングとともに配置された作品『Let the Record Show…』である。1987年7月、この作品はACT UPの名の下に発表、その後も場所を移しながら展示され、グラフィックとしてもポスターやTシャツなどになり、深く記憶されるイメージとなった。

1987 Designer: Silence=Death Project Photography: Fred Scruton at 583 Broadway (The Astor Building),  THE NEW YORK PUBLIC LIBRARY DIGITAL COLLECTIONS.     

1987
Designer: Silence=Death Project
Photography: Fred Scruton
at 583 Broadway (The Astor Building), THE NEW YORK PUBLIC LIBRARY DIGITAL COLLECTIONS.    

THE NEW YORK PUBLIC LIBRARY DIGITAL COLLECTIONS.  Date Created 1996 - 1997

THE NEW YORK PUBLIC LIBRARY DIGITAL COLLECTIONS. Date Created 1996 - 1997

翌年1988年、ACT UPとは別にケイリンらがグラン フューリーとして活動を始めた頃には、映画監督トッド・ヘインズも所属していた。彼らは同年に、有名な『Read My Lips』を発表。この作品までオープンだったグループは、意見や人物の出入りが激しく活動が進行しなくなったために、ドナルド・モフィットなど11人のメンバーでフィックスする。なかにはアートと関係のない職種のメンバーもいた。

ビデオの03:12に登場する「Read My Lips」は当時アメリカ副大統領だったジョージ・H・W・ブッシュが共和党全国大会の演説での発言をもじったもの。ブッシュは「しっかり聞きなさい/私を信じなさい」という意味でこう発言し、自身が大統領になったら増税は行わないと訴えた。(この公約は守られなかった)このポスターは、デモ集会の日時などの告知と同時に広まった。ホモフォビアな社会に「このイメージを見ろ!」と言っているようでもある。

Manuscripts and Archives Division, The New York Public Library. "Read My Lips (Boys) (Posted on a brick wall near a fence)" The New York Public Library Digital Collections. 

Manuscripts and Archives Division, The New York Public Library. "Read My Lips (Boys) (Posted on a brick wall near a fence)" The New York Public Library Digital Collections. 

Photo: Normal Screen このイメージは「 Kissing Doesn't Kill 」というキャンペーンでの使用のほうが有名。

Photo: Normal Screen
このイメージは「Kissing Doesn't Kill」というキャンペーンでの使用のほうが有名。

Source: REBELS REBEL by Tommaso Speretta http://www.dazeddigital.com/artsandculture/gallery/18677/4/rebels-rebel-by-tommaso-speretta

Source: REBELS REBEL by Tommaso Speretta http://www.dazeddigital.com/artsandculture/gallery/18677/4/rebels-rebel-by-tommaso-speretta

He Kills Me! / あいつに殺される!」のあいつとは、当時の大統領ロナルド・レーガン。彼は1981年に大統領に就任するが、2期目に入った1985年に記者から質問を受けるまでエイズという言葉すら発言しなかった。その時点で、アメリカ国内では2万人以上がエイズで亡くなっていたとABC局は伝えている。

"This one prevents AIDS." 1989, New York, New York, USA http://aep.lib.rochester.edu/node/44142

"This one prevents AIDS." 1989, New York, New York, USA http://aep.lib.rochester.edu/node/44142

「scumbag」(スカムバッグ)とは卑怯者やくそったれ といった意味があるが、『Ashes』では「KNOW YOUR SCUMBAGS」に対する訳を「ゴムと敵を知れ」とした。その理由は、この言葉が上のビジュアルとともに記憶されたものであり、そこには避妊は信仰に反すると、コンドームの使用を否定していた当時のカトリック教会の高位聖職者の隣にコンドームが並べられているからだ。また英語で精子はカムと呼ばれることもあり、それを入れるバッグ=カムバッグ=コンドームという言葉遊びもあったのだろう。遠くにいる権力者や影響力を持ったものの意見が、自分やコミュニティの生死にも関係していることを批判とユーモア、そしてコンドームを見ることや使用することを日常の光景へと繋げたパワフルなポスターである。物議を醸したこのポスターはベニス・ビエンナーレで発表され、活動はアートとしても認識されるようになった。

もう一つ印象的なグラン フューリーのフレーズがこのビデオに登場する。「4万2千人が死んだ アートだけでは足りない」ダジャレもかっこいい写真もないまっすぐなポスター。そして、この状況を終わらせるために力を合わせて行動しようというメッセージが続く。アートやデザインの力を信じ、活動を続けながらも落ち着きを見せないエイズ危機...

Art Is Not Enough [With 42,000 Dead . . .] / Manuscripts and Archives Division, The New York Public Library. The New York Public Library Digital Collections. 

Art Is Not Enough [With 42,000 Dead . . .] / Manuscripts and Archives Division, The New York Public Library. The New York Public Library Digital Collections. 

1990年代中頃には、プロテアーゼ阻害剤という薬の登場もあり、複数の薬でHIVの増殖を抑える治療法(HAART療法やカプセル療法と呼ばれる・日本では97年より)がはじまり、エイズに関連する病で亡くなる人の数は急激に減少する。その影響か、アメリカではHIV/AIDSに関する動きや話題、活動がおとなしい時期があった(ALTERNATE ENDINGS企画者テッド・カーはこれを「第2サイレンス期」と呼ぶ)。しかし、ここ数年、またHIV/AIDSについて見聞きする機会が増えた。2010年代前半から、欧米ではエイズに関する複数のドキュメンタリーが制作されたり、展覧会が多く行われた。そんななか、2012年には初めてのHIV予防薬もアメリカで承認され、世界各地に広まり始めた。PrEP(プレップ・暴露前予防投薬)と呼ばれ、ツルバダという薬を1日1錠の服用で感染を予防できるというものだ。それと同時にあらわれた現代らしいフレーズが #truvadawhore(#ツルバダホアー)。ホアーとは軽蔑的に売春婦を呼ぶ際に用いられ、尻軽などの意。そこでPrEPを始め、生でのセックス大好き、を堂々と宣言する人たちがツイッターで用いたハッシュタグだ。(合わせてコンドームの使用も勧められている)

ビデオも終わりに近づき登場するのが「Your Nostalgia is Killing Me」というフレーズ。これはここに紹介したどれよりも認知度は低いと思われる。ビデオでは「お前のノスタルジアにはうんざり」と訳した。これはカナダの団体 AIDS Action Nowの企画 Poster/VIRUS で1980年代前半生まれのアーティストVincent Chevalier とIan Bradley-Perrinが2014年に制作したもの。鑑賞者の捉え方によって、作品の印象が随分違うのではないだろうか。
過去にエイズで亡くなった人々のことを思うことが若いアーティストやHIV陽性者をうんざりさせているということなのか?エイズ危機が忘れられ始めている証拠ではないか? このフレーズからそういった印象も受けるかもしれない。ポスターの中にジャスティン・ビーバーがいる。なぜだろうとよく見ると、ACT UPのTシャツを着ている。記憶もなにも、そのロゴがどこから来たのかすらきっと彼は知らない。

 Source: AIDS Action Now

 Source: AIDS Action Now

ALTERNATE ENDINGSの上映会を新宿2丁目のコミュニティセンターaktaで開催してもらった後、特定非営利活動法人akta 理事長の岩橋恒太さんがこのフレーズについても興味深い考察をシェアしてくださった。彼もまた1980年代前半生まれ。 「Your nostalgiaの Yourっていうのが誰に向けられているのか関心があります。Yourが医療者にとってエイズとかゲイ、バイセクシャルの生をある種のノスタルジーで言っているのか...。ノスタルジーを感じるというのは哀愁とか郷愁ということだから、自分の生きるっていうこととある種の距離がとれないとノスタルジーは生まれないわけですよね。それができる位置にいる者っていうのが、医療だったり行政だったり、製薬メーカーだったりっていうこともあるだろうし、それを読み替えていけば、ずっと変われない活動をしてきた、エイズアクティビズムに対してでさえも同じことが言えるのではないかなという気がしています。」

#ツルバダホアーやこのフレーズからも感じられるジェネレーションギャップや岩橋さんの言うような哀愁もこのポスターに描かれ問題視されているなら、ここで紹介したイメージから今までの間を空白にするのではなく、自らのことと滑らかに繋げる必要があるはずだ。『Ashes』では時間の流れが描かれている。いくつもの瞬間が今に向かって滑らかに重ねられている。ケイリンがどういう意図で、このポスターを引用したかは定かではない。ただ、ひとつ間違いないこと。それは時間は経っているということ。

 

【参考資料】
- Gran Fury Interview with Douglas Crimp in Art Forum, April 2003
- ニューヨーク公共図書館 アーカイブ http://digitalcollections.nypl.org/collections/gran-fury-collection#/ (グランフューリー関連の画像157枚が閲覧できます)

リース・アーンストとザッカリー・ドラッカーの関係

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Relationship, #23 (The Longest Day of the Year) 2011 © Zackary Drucker & Rhys Ernst | Courtesy of the artists and Luis De Jesus Los Angeles | Prestel

Relationship, #23 (The Longest Day of the Year) 2011 © Zackary Drucker & Rhys Ernst | Courtesy of the artists and Luis De Jesus Los Angeles | Prestel

Dear Lou Sullivan』を制作したアーティスト、リース・アーンスト(Rhys Ernst)とザッカリー・ドラッカー(Zackary Drucker)の活動を紹介します。

日本では滅多に名前を聞く機会のない二人ですが、アメリカでは、ポップカルチャーとの距離も近いアーティストということもあり、知名度は上がっています。
1980 年代生まれの2人はカリフォルニアを拠点に、よく共同で作品を制作。その代表は2014年に発表された『Relationship』です。当時、恋愛関係にあった2人 が、日常と性転換する様子を6年間にわたり記録したこの写真はホイットニー美術館の由緒あるバイアニュアル展に選出されたことをきっかけに注目を集めました。ドラッカーが男性から女性へ、アーンストが女性から男性へ。互いにトランスである彼らの親密な時間の描写と変化は、トランスジェンダーに関する議論 や表象の増える現代において重要な作品としてとりあげられました。

時を同じくして,2013年の制作開始から2人がプロデューサーとして参加している、ドラマ『トランスペアレント』が話題になります。

1回30分のシリーズで、日本のAmazonプライムでもストリーミングされています。 クリエーターは、『シックス・フィート・アンダー』などの上質なドラマやインデペンデント映画で活躍していたジル・ソロウェイ(Jill Soloway)。「このドラマが売れなかったら映画にするつもりだった」という発言にもある通り、まるで映画のようなスタイルときめ細かさで人気を博し、2015年にはゴールデングローブ賞のテレビ・コメディー部門で最優秀作品賞を受賞。コメディーと言っても,日常にある“可笑しみ”が笑えて、はっとして、グッとくる。また、同年のエミー賞でも11部門でノミネートされました。現在はシーズン2のストリーミングも始まっており,シーズン2も今年のエミー賞10部門でノミネート! 

このドラマの中心となるのは、現在のロサンゼルスに住む裕福なユダヤ系の家族。ジェフリー・タンバーが熱演する、定年した父親「モート」が「モーラ」になるところから物語は始まります。子どもたち3人は,全員成人しても落ち着く様子はありません。 

結構ネタバレ シーズン1ダイジェスト

この映像の冒頭で話しているのがクリエーターのジル・ソロウェイ。物語は彼女の実体験がベース。 02:22で話しているのがアーンストとドラッカー。

そして何度見ても飽きない、アーンスト制作のオープニング映像。60~90年代のホームビデオやドキュメンタリー映画から集めたクリップが、色とりどりの打ち上げ花火の様に、次々と美しく輝きます。
制作チームに多くのトランスジェンダーを起用している『トランスペアレント』。アーンストは,そのスピンオフのような形で、『This Is Me』というミニドキュも制作し、ドラッカーも共同プロデューサーとして関わっています。実在のトランスの人々やジェンダーを選ばない人々により、彼らに立ちはだかるトイレ問題、暴力や友情などのトピックが紹介されます。こちらも日本のAmazonプライムで字幕付きストリーム中!邦題は『ディス・イズ・ミー ~ありのままの私~』1回5分前後でさらっと観れます。

絶好調のアーンストは、アメリカにおけるトランスジェンダーの歴史についてのミニドキュシリーズ『We’ve Been Around』では,アーンストがクリエーターを務め、トランスの歴史における先駆者的な人物やイベントが,イラストやアーカイブ映像とともに鮮やかに紹介されています。

『Dear Lou Sullivan』と比べ、よりストレートに表現されているルー・サリバンの人生や,ストーン・ウォールの反乱の仕掛け人シルビア・リベラ(Sylvia Rivera)とマーシャPジョンソン(Marsha P. Johnson)について(このエピソードは今年のOut fest(LAの映画祭)で観客賞を受賞。)などが、エピソードとして、描かれています。 
『トランスペアレント』にも出演しているアレクサンドラ・ビリングス (Alexandra Billings)などが声の出演者に名を連ね、存在感を発揮。各エピソードは、「私たちはずっと存在してきた!」というシンプルで強いタイトル名で終わります。このシリーズは、あまり知られていない歴史をただふりかえり、描くだけではなく、それが消された過去、そして今でもトランスの人々の功績や存在が紹介されないことへのアクションでもあります。 

ドラッカーは、パフォーマンスアーティストでもあり、自らのファインアート写真やビデオ作品に登場したり、ポップカルチャーを皮肉ったトークイベントも美術館などで行ったりしています。現在は、アメリカで話題のケイトリン・ジェンナーの生活を追った人気のリアリティTV『~アイ・アム・ケイト~女性になったカーダシアン家のパパ 』にも出演中。 

そして今夏、忙しくなった2人は,原点を振り返るように作品『Relationship』を写真集として発売しました。160ページに及ぶ本についてドラッカーはこう説明しています。「わたしたちはみな一緒に変化し続けている。これはLAに住む、異なったジェンダーを持つ,あるトランスジェンダーカップルのストーリーです。」
その写真集から9枚のイメージをご覧ください。

 

彼らが制作した映像作品『Dear Lou Sullivan』(日本語字幕付き)はこちらでご覧になれます。
http://normalscreen.org/alternateendings

 

 

ペドロ・サモラのリアル リアルワールド

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このエッセイは、マイ・バーバリアンのビデオ作品『Counterpublicity』をより深く鑑賞するために、主題である人物ペドロ・サモラについて紹介するものです。

1992年、まだミュージックビデオが流れ、活気のあった当時のMTVが制作した人気番組『Real World』が放送を開始する。『Real World』は世界で最も長く続いているリアリティTV。

シーズンごとに20代中頃までの7~8人がオーディションで選ばれ、慣れない土地で同じ家に住み、与えられた仕事をこなしたり、パーティーをしたり、ケンカをしたり、恋に落ちたり、という姿を捉えただけのシンプルな内容。特徴は、性別、人種、宗教、セクシャル・オリエンテーションなど境遇の違う人々が選ばれるという点でLGBTQの“キャスト”もほぼ全てのシーズンに一人はいる。

youtube.com

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同じころ、ペドロ・サモラという青年がいた。 

既に全米の学校や教会などを回りエイズについての教育に尽力していた彼は、メディアの注目も集めていた。そんな時、ペドロは『Real World』の存在を知る。ワシントンD.C.で行われたプライドイベントで出会ったエイズ教育者ショーン(Sean Sasser)から、当時話題だった『Real World』を通して全米に向かってHIV/エイズの知識を広めることを勧められる。啓蒙活動では移動が多く、体力的に疲れを感じていたペドロは、早速、MTVにオーディションテープを送ることを決意する。シーズン3の舞台はサンフランシスコ。

彼は当初から自らの経験と存在を通しアメリカに変化を与えるために、戦略的にテレビ出演を考えていた。

1994年2月。出演が決まり、西海岸の港町についたペドロは22歳。ゲイであること、HIVポジティブであることを明らかにし、ルームメイト半数のサポートを受けつつも、他のメンバーから直に差別を受けた。それでも彼はエイズに関する正確な知識を丁寧に共有し続けた。

アメリカのテレビで、オープンにゲイの青年が笑顔で出演することすら滅多になかった90年代初め。しかし、彼はその上、ラテン系であり、人種的にも少数派だった。そして、HIVポジティブ。エイズに関して、今以上に恐怖心や差別も激しかった時代に彼の存在が与えた影響は凄まじかったに違いない。

それだけではない(!)、ペドロはプロデューサーの承諾を受け、カメラなしでサンフランシスコに住んでいたショーンと再会。2人は恋に落ち、ショーンは彼らの家によく訪れ、仲睦まじい2人の姿も全米に放送された。そして、2人は愛を誓う小さなセレモニーを行う。カメラの前でペドロとキスをするショーンは、黒人であったこともあり、当時の社会にとってそのイメージは、さらに新鮮だった。このカップルは、アメリカのポップカルチャー史においても重要な出来事となった。

約4ヶ月に及んだサンフランシスコでの滞在(収録)が終了した直後から、その様子は20エピソード(各30分)に渡って全米に放送された。その間、ペドロの体調は急激に悪化。最終回が放送されたのは11月10日。その数時間後、クリントン大統領(当時)の配慮でキューバから難民としてアメリカに渡ったばかり3人の兄弟(14年ぶりに再会)を含む家族の見守るなか、ペドロはマイアミの病院で息を引き取った。

ペドロがでHIV感染を知ったのは、彼が17 歳のときだった。後に、自らが公の前に出ることで、HIV/エイズの知識とそれと生きる人間の力になれると考え行動を始めた。MTVという大企業と多数派の流れにのまれず活躍したその姿は、主にアメリカにおける白人以外のクィア・アイデンティティや表現者について研究をした社会学者ホゼ・ムニョス(彼もキューバ出身)のエッセイ『Pedro Zamora's Real World of Counterpublicity: Performing an Ethics of the Self』においても、その非公共性の動きが評価される。

ムニョスは2013年に他界。その追悼イベントのためにパフォーマンス集団My Barbarianがそのエッセイを映像化した。そこで彼らが引用するペドロの言葉は切なく響く。同時に、自分ならではの命を自ら考えて生きる選択肢の存在を訴えているようにも感じられる。

「僕はきっと30歳までもたない
きっと30歳を迎える前に死ぬ
でも もちろんそれは統計的なはなしで 
常に自分に言い聞かせないといけないことは
僕は統計ではないということ
自分の人生に 
何らかの意味を見出さなければならないんだ」

燦然たる存在

CONTEXT for ALTERNATE ENDINGS

ALTERNATE ENDINGS』 と合わせての鑑賞をおすすめするビデオを紹介します。

Visual AIDSが2015年のDay With(out) Artで発表したこの作品『RADIANT PRESENCE』です。HIV/エイズをもつアーティストによる作品の莫大なデータベースArtist + Registryから、9人のアーティスト、アクティビスト、キュレーターが選んだ作品とともに、現在のHIV/エイズに関する統計や衝撃的な事実が織り込まれています。

 

これまでに3900万人がエイズ関連の病で亡くなっている。

今日 HIVとともに生きる人の数は 世界で3600万人。

HIVと生きる人のうち その41%だけが治療を受けることができている。

アメリカでは HIVの治療費は年間 36,000ドルにおよぶこともある。

HIVと生きる人の半数は50歳以上。2020年にこの数は70%に達する。

2010年、24歳以下のHIVをもつ若者の半数は、自らが陽性であることを知らなかった。

アメリカで 白人以外の女性におけるHIV感染の可能性は白人女性の20倍である。

アメリカでもっとも急速にHIV陽性者が増えている層はトランスジェンダーの女性である。

過去にHIV陽性者が、同意上のセックス、嚙みつく、唾をはいたという行為を理由に、アメリカの36州で起訴されている。

2015年、他者にHIVの「罪なる暴露をした」と23歳のマイケル・ジョンソンに懲役30年が科された。

HIVを罪にすることはリスクや被害のはなしではない。スティグマの問題だ。

エイズは終わらせられる

RADIANT PRESENCEは2015年12月1日にウェブ上で公開され、その3日後にニューヨークを中心に数ヶ所で投影されました。本作は1990年に制作されたスライドショー『Electric Blanket』にインスパイアされており、Electric Blanketも当時、ニューヨークのクーパー・ユニオン(大学)で投影されたことに由来しています。ナン・ゴールディンやピーター・ヒュージャー、アレン・フレームなどの写真200点とエイズに関するテキスト、データ、スローガンから構成され、日本でも1994年に行われたエイズ国際会議に合わせて横浜で投影されたそうです。

マイアミやサンフランシスコのカストロ・シアターに加えて、下のビデオでは2015年にRADIANT PRESENCEがニューヨークで投影されたときの様子が記録されています。グッゲンハイム美術館、メトロポリタン美術館、そして、東海岸で最もエイズ患者が入院していたセント・ビンセント病院(現在は外壁を一部残しつつ同地に高級マンションが建設中)の外壁に様々な真実が眩しく映されています。

ヴィジュアル・エイズとは

CONTEXT for ALTERNATE ENDINGS

ART. AIDS. ACTION.

これはVisual AIDS(ビジュアル エイズ)のスローガンです。

英語で visual aid(ビジュアル エイド)というと教育現場などで使われるスライドや表を使った視覚資料のこと。それとかけてつけられたこの名前通り、彼らは現在でもHIVとともに生きるアーティストのために情報提供や支援などを通しサポートし、アートでエイズに対する偏見や問題と戦い続け、そして亡くなったアーティストの偉業の保存にも尽力しています。

1988年秋に数ヶ月におよぶ準備を経てアメリカ合衆国のニューヨークで発足したVisual AIDS。 創設者はアート批評家でライターのロバート・アトキンズ、キュレーターのゲリー・ガレルス、トーマス・ソコロフスキ、ウィリアム・オランダー(1951-1989)の4人でした。 同年末の報告では、アメリカでのエイズ感染者数合計は82,362人、死亡者61,816人。すでに次々と友人たちをエイズで失っていた彼らは、アートコミュニティにおけるエイズの影響を記録しようと試みます。 彼らは、「レッドリボンプロジェクト」や「Day Without Art」、街のランドマークなどの灯りを消す「Night Without Light」などのプロジェクトを企画し、アートとエイズコミュニティを一つにしていきました。 パネルディスカッション、展覧会、フォーラム、レジデンシー、出版などを通しエイズへの関心を高めHIVの問題について会話を絶やさず、HIVやエイズとともに生きるアーティストを支援しています。

 


1994年からはアーティストの作品や活動の保存と公開も始まりました。これは、HIV/エイズのアーティスト情報データベースとしては最大で、アーティスト、キュレーター、教育者、研究者、学生などが展覧会や出版物及びインスピレーションのために利用しています。 これらの資料をデジタル化したオンライン上のアーカイブプロジェクト「Artist+Registry」も2012年に始動。 このデータベースはエイズに関するアート、アートを使った運動、そしてHIVと生きながら制作を続けるアーティストの重要性を教えてくれます。 そしてエイズによって亡くなったアーティストの偉業を保存すると同時にアーティスト側もデータベースを通し、世界に向けて活動を発信することができるのです。

団体理念としては、以下のことが掲げられています。
・効果的なエイズに関する現状改善の訴え(AIDS advocacy)によって、根深い部分で関連する問題(貧困、ホモフォビア、人種差別、民族差別など)の広まりを抑える。
・我々の活動は、HIV/エイズとともに生きる人々の可視化、尊厳、権利を確認・肯定するものである。
・HIV/エイズ予防とはハームリダクションのことであり、科学によって示される。 イデオロギーではない。
・我々はレッドリボンプロジェクトとDay With(out) Artのような、アートを通した運動の歴史を基盤としている。
・Visual AIDSは、一般に開かれ、誰でも参加できるアートを奨励する。
・反映と議論と行動を助長し推進するというリスクをおうアートを信じている。

 

 

現在、数多くあるコンテンポラリーアート団体のなかで、この問題に全力を尽くす唯一の団体であるVisual AIDS。  彼らは、アートを武器として選んだのです。

EVENT REPORT- ALTERNATE ENDINGS Screening + Talk

3月21日に東京・新宿2丁目のコミュニティセンターaktaでNormal Screen3回目の上映+トークが行われました。

よく晴れた振替休日の夕方、aktaをよく訪れる方も初めてていう方も集まり、おかげさまで会場は満席状態!aktaを代表して「メイク薄め」のマダム ボンジュール・ジャンジさまが会場をあたため、Normal Screenの秋田祥から上映作品について簡単な背景の説明をさせていただきました。以下にまとめます。

*ニューヨークで25年以上活動を続ける非営利のアート団体Visual AIDSが2014年に上映したアメリカの作家7組による短編映像7本。
・Visual AIDSは、アートコミュニティにおけるエイズの影響を記録するために1988年に発足。
・団体はアーティストのみならずアートコミュニティもオーガナイズする。
・他に、HIV/エイズとともに生きるアーティストのサポートやディスカッションの場を提供したり、アーカイブおよびオンライン上データベースも運営している。
*1989年からは「Day Without Art」をスタート。
・800以上の団体、美術館、ギャラリーなどが参加し、実際に建物を閉館にしたり、照明をおとし、作品に暗幕をかけるなどした。
・今回はそのDay With(out) Art の25周年を記念し、団体がコミッションした作品群でプログラムは『ALTERNATE ENDINGS』と題された。
・作品は2014年12月にアメリカを中心に60カ所以上の美術館や大学で上映された。

アクタで作っていただいた素敵なフライヤー。

アクタで作っていただいた素敵なフライヤー。

暖かさと緊張感が共存する作品。合計約43分の上映が終わり、ここからは『BL進化論』という本を2015年に出版され、他に映画やクィアアートについても詳しい溝口彰子さんがそれぞれの作品に対する感想や関連する情報、思い出を語ってくれました。

作品と作家に関する細かい詳細は後日こちらにアップするので割愛しますが、溝口さんはライル・アシュトン・ハリスが86年から96年に撮影した写真で構成される『Selections from the Ektachrome Archive』に大学院時代の恩師であるダグラス・クリンプを見つけ、そのエピソードは会場と作品の距離を縮めてくれたように感じました。溝口さんとジャンジさんは1994年に横浜で行われた国際エイズ会議に参加されており、当時あわせて上映された『Electric Blanket』も思い出したそうです。

『Electric Blanket』とは、ナン・ゴールディンやピーター・ヒュージャーなどの作家による写真や言葉をまとめVisual AIDSが制作した作品で、病院や美術館、大学の外壁に投影されたものです。

ジャンジさんは懐かしい雰囲気のハリスの写真を眺め、「匂い」を感じ、京都にいたダムタイプの古橋悌二、国際エイズ会議、などの記憶を振り返りながら「なぜわたし今ここにいるんだっけ?」と、現在の自分を意識したそうです。

溝口さんは近頃、アートと性的なこと、倫理、欲望についてちょうど考えていたそうで、ほかに、SMを連想させるジュリー・トレンティーノの作品『evidence』からは、トレンティーノのコラボレーターであるキャサリン・オピーの来日時に溝口さんがインタビューをされたというエピソードをシェアしていただきました。その会話は当時の『美術手帖』(1997年6月号 (Vol.49 No.742) p.18-27)によるものだったそうで、セクシャリティについてももちろん話されたそうですが、一般的には、目新しく、おしゃれなものとして消費されたのではと指摘し、似たように、現在でも表現者にとって重要な性の部分をぼやかそうとしたり、深く見つめようとしない場面もあると懸念されています。

会場からは、「ぷれいす東京」の生島さんから「なぜVisual AIDSはこのような活動をしているのか」という問いが出ました。急ぎ足に上映をスタートしたので、ここでVisual AIDSの活動趣旨についてお話させていただきました。Visual AIDSはHIV/エイズとともに生きるアーティストのサポートをしつつ、HIV/エイズに関する会話を途絶えさせないように活動し、また歴史を単純化させずに、HIV/エイズをとりまく複雑な感情やその歴史と記憶の多様性と複雑性を伝えていこうと活動しています。特にアメリカではレーガン政権下における、セクシャルマイノリティに対する差別と怠慢により絶たれた命が多くあります。その事実はもちろん、それに対するアクティビズムと並行して存在した、その時を生きた人々の体験は多様で結論のあるシンプルなストーリーに集約されるべきではない。そしてその経験は続いているし、忘れてはいけない。解決していない問題も多い。しかし同時にジャンジさんが言われたように、世界的には「(HIV/エイズを)終わらせる」という方向に向かっている、というようにHIV/エイズを取り巻く状況も、PrEPなどの登場により大きく変わってきている。そういう状況のなかで彼らは活動し、アートの力をもってそれらを見つめ、伝えようとしているのだと思います。

質問をくださった生島さんが代表を務めるぷれいす東京や、当イベントの会場で共催のコミュニティセンターaktaではHIV/エイズとともに生きる人々に向けた情報提供やサポート、会話の場を設けるなどの活動を行なっており、このVisual AIDSの活動にも共鳴されることが多いのではないかと思います。

ACT UPの有名なスローガンに「Silence=Death」(沈黙=死)があります。それは様々なことに言えることで、「自分たちで考えていかないといけない」のだ、とジャンジさん。

続けて、トム・ケイリンの『Ash』の最後で引用されるマルセル・プルーストの言葉を溝口さんとともに思い返します。

少しの夢を見ることが危険なら
夢をみないことがその解決ではない
もっと夢を見るべきなのだ
四六時中 夢を見るのだ

好きな人のことを思う。見たこともないものを想像する。考えることを止めないことで広がる可能性がある。そう感じることができた特別な夜となりました。

aktaoustside.jpg

 

イベント後の溝口さんのツイート。

 

この企画は共催であるNPO法人aktaの皆さんに協力していただき実現しました。トークゲストの溝口彰子さんには事前に情報提供や作品の翻訳にたいするアドバイスをいただき、Visual AIDSには日本語字幕版制作にあたり、作家全員とのリエゾンも担っていただきました。

この場をもって、皆さんにあらためて感謝いたします。

会場で配布した資料。

会場で配布した資料。