『ビン君の花園』について(グエン・クオック・タイン寄稿)

特集[クィア東南アジアの今 その声のいくつか]のためにベトナムの作品を2つ、ハノイを拠点にするアーティスト/キュレーターのグエン・クオック・タインさんに選んでもらいました。その1つ、グエン・ズイ・アイン監督の『In Bloom ビン君の花園』日本初公開にあわせ、寄稿してくれたエッセイを日本語に翻訳して公開します。



Text by Nguyễn Quốc Thành



 

まず、画像のリアリズムがオフになる。映画が始まると画面は真っ黒になり、白い文字で説明的なテキストが表示される。そして、現実か幻想にいるか分からないような渡り鳥の鳴き声だけが聞こえる。現場の音そのものが2つ目のシーンで消えたとたん、鮮やかな深紅のバラが真ん中に現れ、画面の大部分を占める。花の周りの背景はボケ表現の効果でぼやけはじめる。そこでは空間も時間も分からない。3つ目のシーンに入り、紫色の植木鉢に放物線状の水が注がれ、4つ目のシーンでカメラが移動しキャラクターに着目し瞬間に花園と庭師がはっきりと見えるようになる。「ここは遥か昔にできた、私の花園」と彼が言う。

彼の名前はビン。北部の田舎の伝統とカトリック教会の文化が混ざり合った農村に住んでいる。ナムディン省のハイハウにあるこの花園は教会の二つの塔の陰に咲いている。鳥のさえずりはない。花卉園芸から夕食、聖歌の練習、歌と踊りのスキル、そして彼がオンラインで知り合った恋人のことまで、彼はとりとめのない話をしている。そして、カトリック教会における同性愛者に対する恐ろしい罰についてのこと。彼は微笑みながら語る。夜、彼氏の話をしているところに賛美歌が割り込んでくる。カメラは浮いているかのように、教区民の顔、彼らが歌を練習している部屋、神の祭壇の上をなぞっていく。すぐ隣の小部屋で、ビン君はイヤホンをつけてコンピューターの画面を見つめている。彼は全く別のことに忙しいようだ。もしかしたら、恋人とおしゃべりしているのかもしれない。





ズイ・アイン監督の本作の登場人物は社会的ドキュメンタリーのキャラクターとして実に魅力的な存在だ。 とてもロマンチックな花農家で同性愛指向をもつカトリック信者であると同時に、北部の田舎の家族の長男。現代の大都市に住む人/学生、ジゴロや芸能人や金持ちなどというベトナム映画の一般的な同性愛者のモチーフとは、かけ離れたキャラクターだ。そうした映画のモチーフは社会のステレオタイプとさほど変わらず、そうした役に登場人物を閉じ込めてしまう。長男というのは、結婚して子供をもうけて家系を継ぐという話と無縁でいられない。カトリック信者に対しては、男同士の恋愛は秘密の話だ。しかし、ズイ・アイン監督は、キャラクターを明確に定義することを避けている。鏡に反射するビン君と彼の声の両方によってビン君が「複製」される箇所では、現実が虚構によって複製される。映画の冒頭の2つのシーンが別の物語、すなわち映画の物語を呼び起こす。それは日常の記録から夜の風景への移り変わりの再現である。ビン君は蚊帳を下ろして眠り、超現実的なイメージや音、そしてエロティックな夢に耽溺する。映画は登場人物を現実から夢へと導く。 映画の冒頭の鳥のさえずりは、その夜の夢の中で魔法のように繰り返され、時間を遡ってこだまし、現実の昼間のシーンをロマンチックで空想的な魅力あるものにしている。





グエン・クオック・タイン
ハノイを拠点に写真からパフォーマンスまで幅広いメディアで表現するアーティスト&キュレーター。ポーランドのワルシャワ大学で修士号を取得。ハノイでアーティスト集団Nhà Sàn Collectiveに所属し活動する傍ら、Queer Forever!というクィアアートフェスティバルを2013年より開催し、検閲の厳しいベトナムで国内外の作品を紹介しトークイベントなども催している。2014年には日本国際パフォーマンスアートフェスティバル(ニパフ)で来日し東京、長野、宮崎でパフォーマンス作品を発表。



本記事公開日:2021年11月10日
翻訳:チャン ティ トゥイト ミンさん
編集協力:小田ならさん