エッセイ:フウン姉さんの最後の旅路(グエン・クオック・タイン寄稿)

特集:クィア東南アジアの今 その声のいくつか
Unmasked Queer Voices from Southeast Asia Today

2021年12月26日まで配信中の映画『フウン姉さんの最後の旅路』について、ノーマルスクリーンのために本作を選んでくれたアーティスト&キュレーターのグエン・クオック・タインさんが映画についてエッセイを書いてくれました!映画の鑑賞前か後にぜひ読んでみてください。

映画は12月26日まで以下の2つのページから鑑賞できます (割引あり):
Peatix▶︎https://madamp.peatix.com/
Vimeo▶︎https://vimeo.com/ondemand/madamp
いずれも内容は同じです。

Text by Nguyễn Quốc Thành

観客への新年の祝いを伝える前に、フウン姉さんは「身近にある幸福」という曲を歌う。照明とカメラレンズの角度でステージも真っ赤に見え、彼女の体に密着する水着形のドレスも赤く、肌の見えるビーズの紐はキラキラ輝く。そのボレロは離婚と子供の幸せとの間で引き裂かれる女心を示す曲なのに、観客はその不幸な女の本音が聞き取れないようだ。カメラは観客の男性や女性や子供の顔を捉える。その顔は困窮や生活の疲れを伺わせると同時に明るい笑顔もみえる。

あけましておめでとう!かつて南部と中部のテト(旧正月)にお祭りの盛り上がりを与えたビンゴ大会のコンサートがはじまる。中部沿海部に伝わるバイチョイというカード引きの祭に似ているが、カードの代わりに数字を使い、「何番だろう、何番かな?」などとくじを買わせるよう客を歌でひき寄せ、当たりを歌で読みあげる。賞品が当たればうれしいが、それだけではない。このお祭りには西洋の遊園地のように回転ブランコや射的もある。夜の賑やかな西洋の音楽の中、遠くから来た芸能の人はお洒落な(凝った)メイクと挑発的できらめく衣装で歌い、踊る。大勢の人の間を、ファッションショーでキャットウォークをするかのようにクジを売る。

ビンゴのあるお祭りといえば、風変わりな美しい女性歌手のことを連想するようになったのはいつ頃からなのか。そのことについては映画は触れない。 ベトナム南部で、西洋からもたらされた遊戯と伝統文化を併せ持つテトがいつから楽しまれるようになったかも、述べられない。

コンサートが終わった地方のある静かな夜。喧嘩中のいたずらっ子たちを叱っているフウン姉さんの声だけが響く。ビンゴ売りのメンバーの映像は、光量不足のためにぼやける。体格のいい少年、背の高くすらりとした少女、ベテランの名歌手の人たちは一同座り、予測不能な未来の旅で起こることをハラハラと待ち構える。 

フウン姉さんとハン姉さんの会話から、彼女らはビンゴの人気が絶頂期をむかえた1980年代に旅芸人の生活を始めたことがわかる。この映画が捉えるのは、ビンゴ人気が下り坂になった後の、田舎にいる人が昔のように賑やかにテトを楽しむことがなくなった2010年代始めの様子だ。最初のシーンで掃除係、設営、屋台や小屋などがカメラの前に現れ、カメラの後ろの監督の声も登場する。

彼女は幼いころを回想する。親と一緒に建設現場に通い、小屋に住み、祭りの一団と会っていた。気分屋で、お洒落な服を着て何も恐れず非常に変わった人たちを遠くから興味と怖れを抱きながら見ていた。監督は過去の思い出を語るだけではなく、スクリーン上の出来事にも言及(または再現)しているのかもしれない。このドキュメンタリーに含まれる彼女の話と彼女が映すドキュメンタリーの話は分かちがたく、ともにあばら屋での生活、変わった人々、中部・南部や赤土の中部高原の農村への旅路を表現する。

彼女の幼い頃の話は、突然そこで止まり、なぜそれ以上話されないのか。もしかしたら、それらの記憶も、まさに監督のカメラレンズや語りで記録される現実だからかもしれない。ナレーションは過去と現在を混ぜ合わせ、思い出を現実に溶け込ませ、切り分けられない。

その最初のシーンから、直接的な方法(ダイレクトシネマの手法)をとるこのドキュメンタリー は、現実と演技あるいはドキュメンタリーとフィクションとの境界のぼやけ(あいまいさ)を見せるだけでなく、さらには映画と人生も切り離せないものであることを示している。

映画は、フウン姉さんのビンゴ団の活動とトランスジェンダー女性の団員のパフォーマンス/“演じる姿”を隠すことなく捉えている。 登場人物たちは客の前やステージの上で踊りを披露するだけではなく、現実の生活でも、カメラがあるときもない時も、演じ続ける。

さらに、本映画ではフィクションのような劇的なことがまるで用意されたかのように起こり、話が展開する。人の運命というのは決まっているから、逆らうことはできない。 かつて輝いていたビンゴ団はひどい目に遭い、フウン姉さんは落ち込んでしまう。監督は、カメラで映しきれなかった最後の旅をナレーションで語り、映画は終わる。    

劇場の明かりがついた時、映画は実に悲しいものだったにもかかわらず、私たちはいつものように拍手を監督に送った。ベトナム・ヨーロッパドキュメンタリー映画祭での上映は満席となり、若者から引退したお年寄りやドキュメンタリー製作者やハノイでのLGBT擁護団体の委員まで出席した。

監督と招待されていた一座のメンバー、ゴック・フンとの交流のために多くの人が上映後も残った。主人公がトランスジェンダーの映画が主流どころか社会現象になると誰が想像しただろう。その上映から数ヶ月後、ブループロダクションによりハノイとサイゴンでも上映され、大きな歓声を引き起こした。

これまでのベトナムでは、ドキュメンタリーのためにチケットを買う人はほとんどいなかった。ましてや、これは国内のインデペンデントの監督によるもので個人的な興味から生まれた作品であり、商業目的でも社会運動のためのものでもなかった。

簡単には観られなかった小さなドキュメンタリー映画を観客たちが映画際の輪から引っ張り出したとも言える。もしかしたら、本作の鑑賞者は監督と登場人物たちが浴びたあの強い舞台照明と暗い夜の道路灯の光を彼らと同じように浴びたかったのかもしれない。

 

『フウン姉さんの最後の旅路』の詳細と配信情報についてはこちら:https://normalscreen.org/events/madamphung

タインさんは、ハノイの団体Nhà Sàn Collective(来年の「ドクメンタ15」に参加)やQueer Forever!(クィアアートフェスティバルを2013年より開催し、検閲の厳しいベトナムで国内外の作品を紹介しトークイベントなども催している)に関わり展示やイベントを積極的におこなっています。 ノーマルスクリーンでは、2017年にタインさんを迎えて東京で上映も行いました:http://normalscreen.org/events/queerforever 

(タインさんの名前は、過去にはグエン・コック・タインと表記していました) 


本記事公開日:2021年12月8日
翻訳:チャン ティ トゥイト ミンさん
編集協力:小田ならさん