《後編》ドイツ国立歴史博物館での「ホモセクシュアリティーズ」展はいかにして実現したか。

《後編》目指したのは、見る人の視点を変えること

2015年、ドイツ歴史博物館とシュヴルス・ミュージアムで同時開催された「Homosexuality_ies(ホモセクシュアリティーズ)」展のディレクター、ビルギット・ボソルド(Birgit Bosold)さんに、写真家の間部百合さんがインタビュー。
後編では、この展示は、ただ同性愛の歴史を見せるだけのものではないという話に。
同性愛者や女性など、マイノリティがいかにして社会で周縁化されていくかを示したかったという、この展示に込められた意図を聞いた。

Photo: Yuri Manabe

Photo: Yuri Manabe

フェミニズム視点の同性愛史を見せたかった

M(Yuri Manabe):最初の展示室にあった女の人たちの古い絵が印象的でした。どうやってあれらがレズビアンにつながっているとわかったのですか?

B(Dr. Birgit Bosold):はっきりわかっているわけではありませんよ。確かに中には何人かレズビアンがいますが、ここで見せようとしている主な視点はそういうことでありません。ここでの主題は、テーマについて話すこと、そして、認識はどのようにして起こるかということです。

例えば、ヨーロッパの美術史ではとても有名な、クールベによる女性カップルの絵画があります。この絵の女性たちはほぼ裸でエロティックなポーズをしているのですが、ヨーロッパの美術史の中では誰も彼女たちをレズビアンとは認識していません。

例えば同じポーズを2人の裸の男性がしていたら、誰もが「ああ、これはゲイだな」って言うでしょう。でも、2人の女性が裸でいてもレズビアンとは言われない。レズビアンの欲望は認識されないのです。女性同士はセックスできない。女性同士の同性愛は存在しないと言うのと同じです。

これは自画像の話にも通じるものがあります。自画像の展示コーナーがありましたよね。これらの自画像のポーズは、美術史上よく描かれてきた女性のポーズとは全然違います。「私はペインターだ」っていう絵。

過去にはアーティストといえばほとんどが男性でした。女性はアートを学ぶことができなかったし、女性のアートは真面目に取り扱ってはもらえなかった。女性アーティストとして自分自身を描くことは、いわゆる“女性表象”とはまったく違う表現です。自意識についての異議申し立てとしての行為、気づきの表現なんです。

美術史の中で、“女性、レズビアン、異性愛規範的でないアイデンティティ”について、何を認識して何を認識してこなかったのかを見せることが、ここでのテーマであり目的でした。

同性愛は長い間犯罪でしたからね。公的文書の中に記録を見つけることはできないでしょう。なので、美術史自体の読み直しが必要なんです。もし読み直しを始めたら、そこにはたくさんの興味深い発見がある。それを示すことがこのセクションの目的でした。レズビアンのアーティストを見せたかったわけじゃないんです。

M:そうだったのですね。私は単純にこの時代にこんな人がいたんだ、とわくわくしていましたけど。ある意味とても複雑な、表面に出てこない視点を、インスタレーションとして見せていたのですね。

ちなみにこの展示は、かなり女性にフォーカスしているように思えたんですけど、どうしてこうなったのですか?

B:どうして女性にフォーカスしてはダメなんですか?

M:いい答えですね。

B:それはね、この展示のメインの目的なんです。今までいつも同性愛について公に話すときの視点は男性でした。たぶん日本も同じでしょう。今回の展示で、私が特に大事にしたことの一つに、レズビアン、フェミニスト、アクティビストの存在やストーリーを見せることがありました。なぜなら、彼女たちはとても重要な存在だからです。ゲイムーブメントにも、フェミニズムムーブメントにも大事な存在なんです。彼女たちに光を当てたかった。見せたかったし、感謝したかった。歓迎したかったんです。そこに気づいてくれたんですね。嬉しいですよ。

M:もちろんです。気づきましたよ。

ところで、シュヴルス・ミュージアムの中での展示に「what's next」というのがありましたよね。今活躍しているアクティビストやアーティストたちが同じ質問に答えた動画で、「クィアって何ですか?」という質問に対して「クィアにはフェミニズムの視点が大事だ」と言っている人がいたのがすごく印象的でした。

B:あのアートワークで見せている多様な視点こそ、私たちが一番見せたかった部分です。あの展示では、ゲイポリティクス、クィアポリティクス、レズビアンポリティクスの違いを見せています。こういう展示の仕方は、私がディレクターだったから、ボスだったから決められたのです。私がレズビアンでフェミニストだから、“視点”を変える必要があったんです。

M:かっこいい! それにしても、フェミニズムの視点をこんなに盛り込むことは大変だったんじゃないですか? 現実として、すごく男性中心的な世界では。

B:確かにそうです。

 
Photo: Yuri Manabe

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見せたかったのはマイノリティの歴史ではなく 社会の中のジェンダー規範

B:でもね、考えてみてください。同性愛はスキャンダルだった時間が長かった。ある意味では、そうでなくてはならなかったし、今でもそうなんです。男性同性愛の合法化には大変長い、100年以上の論議が必要でした。しかし、なぜ同性愛が問題だったのか、今私たちは理解できなくなっているのです。

M:なるほど、そうですね。

B:どうしてそれが問題になり、問題にすべきだったのでしょうか。それは、「ジェンダーの規範/序列」の考え方を理解していないと、わからないと思います。

いわゆる異性愛規範の世界では、ジェンダー(社会的性別)もセックス(生物学的性別)も2種類だけです。この異なる2種類がセックスすることになっている、しなければならない。この異なる2種類が「セックス」して「子ども」を作って、社会の中で特権を持っています。こうして、ある種のジェンダーが他のジェンダーより特権を持つ構造ができるのです。それは神の創造した自然である、とか言われたりして。

これは世界のさまざまな場所で基本的な見方として存在してきました。「レズビアンは本当の女性ではない」とか「ブッチは女ではない」とか「ゲイは本物の男ではない、女性である」とか。女性同性愛者や男性同性愛者の存在は、“自然”な性別役割への攻撃だと思われるんです。

同性愛を問題視する背景に、こういった広い文脈がまずあるのです。“自然”と言われているものが実は自然ではなく、“セックスやジェンダーがどうあるべきかという考え方”が存在している。

個人的なことは個人的なこと。個人的な関係や感情は、個人的なセクシュアリティ。でも、これらは本当に政治的なことなんです。政治とつながっているんです。もしあなたがこうしたバックグラウンドを知らなければ、何を議論しているのか、なぜ多くの社会において同性愛が問題になるのかを理解することができないのです。

M:とても興味深いです。そしてとてもわかりやすいですね。例えば異性愛規範の確固たる社会からしたら、同性愛のことは自分たちとは関係ないから考えない、忘れてしまっても構わないと、問題すら考えない人たちがいるのではないでしょうか?

B:そうですね。ですから、私たちの目的の一つは、こういう視点を社会に対して開くことだったのです。私たちは、マイノリティの歴史を見せたいわけではありません。変な趣味の、変わったある種の人たちの習慣を見せたいわけではありません。社会のど真ん中での、“この議論”そのもの、何が社会の原理とされているのかという基本的な考え方を、議論を見せたかったのです。「はい、私はホモです」というだけではなくて、社会に存在してきた考え方や背景、そのありようを見せたかったのです。

M:そうですね。“私”は個人であり、アイデンティティを持っています。そして同時に、自分の属するカルチャーの上に成り立っていますよね。社会は個人から切り離せるものではない。“私”は社会的な在り方から逃げることはできない。日本人であること、日本の法に則っていること、日本の慣習の則っていることなどなど。だから私は、社会と個人の関係性を考えるという意味でも、クィアシーンが面白く思えるのです。

B:そうね。ヘザー・カシルスのメインビジュアルになったポスターの写真を覚えていますか? あれは多くの人を刺激するものです。

M:ああ、はい、そうですよね。そう思いました。

B:あれは、私たちが開きたかったとてもベーシックな「問いかけ」の作品です。この展示が何についてのものであるかを、明確に見せてくれる作品だと思います。体とは、ジェンダーとは、セクシュアリティとは、規範とは何か。これらは互いにどう関係しているのかを、わかりやすく見せていますよね。

 
Schwules Museum, the exhibition “Homosexuality_ies” poster. Heather Cassils.

Schwules Museum, the exhibition “Homosexuality_ies” poster. Heather Cassils.

今もなお、女性差別は根本的な議論

M:一般的に、異性愛規範的な人たち、保守な人たちの多くは、セックスや欲望について日常の中で話すことを避けますよね。実際には彼らにとっても日常的なことなのに。そういった人たちも含めて、この展示への反応はどうでしたか?

B:反応はとても広くありました。特にメディアからの反応は多かったですね。ドイツの大手新聞、アメリカのメディア、さまざまなLGBTマガジン、ワールドワイドでした。そして、来場者は10万人を超えています。でも、この展示はやっぱり、主に若い人たちやクィア、ゲイの人たちのものだと思いますね。いろいろな視点を可視化していくといってもね、いわゆる保守的な人たちはこの展示を見たくないでしょうね。

M:……。でも、国立の歴史博物館で同性愛に関する展示をするのは、たぶん世界でも初めてだったんじゃないですか?

B:ええ、そうですね。ニューヨークの美術館でもとても重要なゲイアートの展示がありましたが、こういった文化や歴史の世界での展示は世界でも初めてだと思います。私たちが“前衛”です!(キリッ)

M:今までの活動で、仲違いってなかったのですか? レズビアンとゲイの違いや、男社会という基盤についての考察の違い、マイノリティの中での差別とか。

B:70年代は、ゲイとレズビアンの間に非常に深刻な仲違いがありました。ゲイムーブメントが始まった当初、レズビアンとゲイは一緒に活動していました。ところが70年代半ばには、レズビアンアクティビストはゲイと一緒に活動するのをやめて去り、自分たちの活動の場所を作ったんです。そしてそれが、フェミニズムムーブメントにつながっていきます。

男性が支配している世界で、男性と活動することは困難だったのですね。男性たちはお金や権力を持っているし、他にもいろいろ……。

2年前、『ジーゲスゾイレ』というゲイのフリーマガジンが、クィアシーンにおける男性支配やレズビアンポリティクスについての議題を取り上げました。70年代とは変わってきていますが、今でも議論は続いています。

シュヴルス・ミュージアムは、とても大きな博物館です。レズビアンミュージアムに比べると、すごく大きい。世界ではサンフランシスコとベルリンにゲイミュージアムがありますが、それらと比べてもシュヴルス・ミュージアムは大きくて、一番古いのです。そういう私たちですら、今でも男女差別の問題については話し合っています。日常的な議論ではありませんが、根本的にはありますね。やはり今でも男性たちには特権がありますから。

M:なるほど。そんな男性視点がとても多い社会で、女性視点で作られているこの展示は、やっぱりすごいです。この時代においても。

B:それが一つの目的でしたからね。視点を変えること。でも、すべてが変わったわけではありません。これは一つのステップだと考えていますね。

 
Photo: Yuri Manabe

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「Homosexuality_ies」展、その後

2016年3月、シュヴルス・ミュージアムの入り口のドアに、銃で開けられた穴ができた。何によって開けられたかはわからない。弾丸が見つかっていないから、エアガンによるものかもしれない。

「ここにいる人はほとんどがボランティアで、誰がどんな状態であっても受け入れられる、安全な場所があることを喜んで来ているんです」と、スタッフメンバーは心配している。

同年5月、「Homosexuality_ies」の展示は、南ドイツのヴェストファーレン州立美術館への巡回展が決まった。ところが、首都ベルリンよりも保守的と言われる街では、論争が起こった。ドイツ鉄道ドイチェ・バーン社が、列車内広告に展示の宣伝ポスターを貼ることはできないと言ったのだ。それも、性的で、かつセクシストであるという理由で。

この展示のオーガナイザーの一つであるシュヴルス・ミュージアムは、メディアに向けて声明を発表し抗議した。

「2015年末にケルンで大勢の女性(被害届は500件以上)が強盗・性的暴行にあったことを受けて、世論がセクシズムに敏感になっていると、ドイチェ・バーン社は言っています。しかし、その禁止は間違っているし、適切ではありません。今までヘテロセクシュアル視点のヌードであれば問題なく使用してきたことは、興味深いと言わざるを得ません。ジェンダーの概念を問う内容となると途端に検閲してセクシストと呼び、公共の展示にはふさわしくないと判断されるとは」

数日後、ドイチェ・バーン社は先の決定を取り下げたが、展示の広告掲載場所はすでに移してしまっていた。

論議が巻き起こったことについて、ポスター写真を制作したアーティストであるカシルスは「私の作品に対して嫌悪感を示すことは、より広い意味でのトランスフォビアを示すことに他ならず、それは結果的にトランスジェンダーや、ジェンダーに適合しない体を持つ人たちの存在を、公共スペースから排除することに繋がるのです」と自身のウェブサイトで訴えた。カシルスは、ドイチェ・バーン社がセクシストだといった作品を、インターネット上で無料でダウンロードできるようにし、ドイツ鉄道の駅に設置されている性差別的で異性愛規範的な広告の上に貼るよう呼びかけている。

社会のコンセンサスに内在化している規範や、検閲という権力の現れ方、あり方に対しての問いかけは、まだまだ続きそうだ。

 
Photo: Yuri Manabe

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