あの頃、ソウルで出会ったあの映画、あの人。

クィアの人々にとっての歴史を考えるきっかけをくれる映画を紹介してきましたが、ここでは、本企画のために韓国文化や歴史に詳しい植田祐介さんに書いてもらった文章を公開します。ある日本出身のゲイ男性の個人的な視点から、過去20〜30年ほどの韓国のLGBTQ事情を想像させてくれる体験をシェアしてもらいました。韓国と日本を行き来しながら変化していった、筆者と韓国の様子を想像してみてください。


 

タブーの映画を上映する、韓国の「地下上映」

90年代の韓国は地下だらけだった。いざというときに防空壕の役割を果たすという地下道(朝鮮戦争はあくまでも休戦状態で、今に至るまで準戦時下にある)、市場よりはオシャレだけどデパートほどでもないそこそこの服で溢れる地下街、深夜営業禁止令をガン無視してヤミ営業をし、警察官の集団の来襲に、裏から路地へとつながるにじり口から出されたゲイクラブも地下にあった。

イケメンとまぐわっていた最中に警察官がやって来て、室内を一瞥した後、オーナーと何らかのやり取り(おそらくワイロ)をして出ていく一部始終を、喘ぎながらぼんやりと見ていたのも、最高級のホテル新羅(シルラ)のそばにあった、ボロ屋の地下のハッテン場だった。

そして、韓国であの時代を過ごした人なら一度は体験したであろう地下上映だ。

とは言っても、今は亡きあべの文化劇場(大阪市の阿倍野共同ビルの地下にあり、東映系の映画を上映していた映画館。ローカルすぎてすいません)のように文字通り地下にあった訳ではない。政府が見せてはならないとする映像を密かに見せてくれるイベントのようなもので、大学のキャンパス周辺に貼られた貼り紙や友人からの口コミ、そして最盛期だったパソコン通信ででその存在を知った。

映画『1987、ある闘いの真実』には、キム・テリ扮するヒロインのヨニが、カン・ドンウォン扮するイ・ハンニョルから映画の上映会に誘われ、何の気なしに見に行ったら、軍事政権下のメディアでは報道できなかった、1980年光州民主化運動の真実に関するビデオだったというシーンが登場する。が、民主化後しばらく経った90年代中盤以降の韓国では、そんな「ガチのタブー」ではなく、もはや有名無実化した「建前のタブー」を上映する場所だった。

最も一般的だったのは、日本の映画、特にアニメだったように覚えている。テレビでは韓国語に吹き替えられ、登場人物の名前も地名も韓国風に変えられた上で放送されていたものの、日本のアニメ映画の放送、上映は90年代の最末期まで禁止され続けていた。そんな中で、生の日本のアニメに接することができたのが地下上映だった。実は『となりのトトロ』を初めてみたのは、ソウルの学生街シンチョンの外れにある、地下のカフェでのことだ。

抗議の末、上映された不完全な『ブエノスアイレス』

当時、カルト的な人気を集めたのは、日本のアニメではない。ウォン・カーウァイ監督の『ブエノスアイレス』だ。1997年の朝鮮日報にこのような記事がある。


『ブエノスアイレス』公倫’輸入不可’判定
朝鮮日報1997年7月17日

ウォン・カーウァイ監督の新作『ブエノスアイレス』が公演倫理委員会の輸入審議で、不合格判定を受け国内でのロードショーが困難になった。(中略)公倫は再審結果を通報し、不合格理由を「同性愛がテーマでわが国の情緒(国民感情)に反する」と明らかにした。しかし『プリースト』『クライング・ゲーム』『ウェディング・バンケット』など、同性愛を

扱った映画が既に上映されており、審議義務原則性をめぐり、映画関係者は批判の声を高めている。(以下略)

韓国国内はもちろん、ウォン・カーウァイ監督や主演のトニー・レオンからも抗議の声が上がり、同年9月の釜山国際映画祭で上映されることになったが、それに対しても異論が示され、メディア、映画関係者に限っての上映となった。映画館での上映にこぎつけたのは翌年8月。それも、オーラルセックスのシーンなど4分間を削除した上でのことだった。

僕は完全版を見るために、シンチョンで行われた地下上映の場所に向かった。だが、場所が文字通りの地下だったこと以外、何も思い出せない。ストーリーそのものより、見られたという事実に興奮しすぎたせいなのかもしれない。日本に一時帰国すればいくらでも見られるものだったが、LCCがなかった当時、今ほどは気軽に行き来できなかったのだ。

他にも数え切れないほどの映画を見ているはずなのだが、印象に残っているのは『明日に流れる川』だ。明桂南(ミョン・ゲナム)、楊喜京(ヤン・ヒギョン)など、今でも活躍する俳優が登場し、ロードショー上映されたものではあった。しかし、韓国では少しでも客が入らないと、すぐに上映をやめてしまうこともあり、僕が見たのは地下上映でだった。

「母を失ったジョンインは、(唯一血の繋がった妹の)ミョンヒとの関係を断ち、一人で広告代理店のビデオ監督として生きる。そんなある日、小説家の友人と共に好奇心から立ち寄ったゲイバーで、自動車のディーラーをしているスンゴルに出会う。ジョンインは家族を優先するスンゴルが不満だが、それでも二人の愛情は深まっていく。ジョンインはスンゴルが糖尿病で入院した間、寂しさから訪れたゲイバーで出会ったパン社長についていくも、スンゴルのいないことばかりが気になり、社長の家を飛び出す。それをきっかけにより親密になった二人は、チョン・ギモ(実母の再婚相手の第三夫人)の還暦祝いの場で、二人が恋人同士を告白する」(「韓国クィア映画史」より抜粋)

『明日に流れる川』場面写真

『明日に流れる川』場面写真

今回、この文章を書くに当たって、20年ぶりに映画を見直してみようと思ったのだが、残念ながら見つからない。複数の評から映画の大まかなストーリーを再構成してみると、朝鮮戦争で夫を失った母親が、別の男性と結婚するもうまくいかず、息子はベトナム戦争で戦死という、激動の近現代史を生きた韓国の家族を描いた前編、そしてゲイという言葉すら韓国に伝わっていなかったであろう時代を生きる“おっさんずラブ”を描いた後編という構成で、あまり1本の映画にまとめた意味が見いだせないものらしい。1997年の第6回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭で上映されたそうなので、どこかで見られる機会があるはずなのだが、もしなければ自分で作りたいと考えている。

クィア映画が政府公認の企画へと変わった、この20年

『ブエノスアイレス』上映を巡る騒動から1年あまりが経った1998年11月、ソウル市内の民間のホール、アート・ソンジェ・センターで、第1回ソウルクィア映画祭が開かれることとなった。その代表を務めていた徐東辰(ソ・ドンジン)さんは、韓国の延世(ヨンセ)大学で韓国初となるゲイサークルCome Togetherを立ち上げたことで、大学院への入学を拒否され、大学講師として活躍していた。彼の学習会に参加したことをきっかけに、映画祭のお手伝いをすることになった。とは言っても、会場のセッティングなど雑用に過ぎないのだが。

アート・ソンジェ・センターのinstagramの公式アカウント

アート・ソンジェ・センターのinstagramの公式アカウント

 

実は前年に、延世大学のキャンパス内で開催が予定されていたのだが、大学当局の妨害で中止に追い込まれた。アート・ソンジェ・センターへと場所を変え、時間も変更した上で改めて開催することになったのだが、会場側は極めて非協力的だったことを記憶している。今では公式のInstagramでレインボーカラーのプロフィールを掲げているのを見ると、10数年の時の流れと変化を肌で感じる。同性愛を取り締まる側だった政府だが、今ではその外郭団体の韓国映像資料院が「隠されたクィア映画を探して:1996年以前の韓国クィア映画」という企画を立ち上げるほどだ。

時の流れと言えば、横浜の神奈川芸術劇場で開かれた国際舞台芸術ミーティング in 横浜 2018(TPAM2018)のプログラムの一つとして、サイレン・チョン・ウニョンさんの「変則のファンタジー_日本版」の中で、僕が日本語字幕の翻訳を担当した映画『ウィークエンズ』の上映が行われたのだが、その観客の一人として来ていた徐東辰さんと10数年ぶりに再会したことも挙げておきたい。ソウルクィア映画祭立ち上げ当時は貧乏な講師だった彼が、有名な芸大の教授となっていた。

念願の平等法成立か、バックラッシュか

しかし、この10数年の権利獲得に向けた運動が順調だったとは言い難い。2000年9月に、韓国の芸能人として初めてカムアウトした洪錫天(ホン・ソクチョン)さんは、当時出演していた子ども番組から降ろされ、数年に渡って「干された」。同じ年には、当時最大のゲイとレズビアンのコミュニティサイトEXZONEが、情報通信倫理委員会から青少年有害媒体に指定されてしまったのだ。そればかりか「同性愛」が禁則キーワードとされてしまった。

韓国では、有害指定されたサイトはブロックされてしまい、当時一般的でなかったVPN(仮想回線)などを使わない限り、国内からはアクセスができなくなってしまう。この差別的な決定を覆すための裁判闘争が行われた。三権から独立した人権擁護機関、国家人権委員会は2003年、同性愛を青少年にとって有害とするのは性的指向に基づく差別だとして、一連の決定を取り消し、関連法の修正を勧告した。そして翌年、青少年保護法施行令は改正された。

2007年には、差別を包括的に禁止する差別禁止法制定の動きが起きた。しかし、保守派やキリスト教団体からの強い抵抗を受け、それらの票の逸走を恐れた議員たちが本腰を入れず、結局は廃案に追い込まれてしまった。そして2021年、8度目のチャレンジが行われている。

韓国国会の公式ウェブ署名サイト「国民同意請願」で、差別禁止法の制定を求める請願が立ち上がり、「30日以内に10万人の署名を集める」条件をクリアするために、大規模なキャンペーンが繰り広げられた。そして、6月14日に無事目標を達成し、請願書は国会の法制司法委員会に送られた。これを受けて、与党「共に民主党」の議員24人は、国会に平等に関する法律案を発議した。

法案は、障害、兵歴、出身国家、民族、人種、肌の色、出身地域、容貌、遺伝情報、婚姻、妊娠、出産、家族の形や状況、宗教、思想、政治的立場、前科、学歴、雇用形態、社会的身分、そして、性的指向とジェンダー・アイデンティに基づく差別を禁止するというものだ。

次期大統領候補と目される人々も次々に前向きな姿勢を示しており、多くの人々の10数年来の念願がようやく叶うかもしれない。しかし、反対派の抵抗は強く、平等法の制定が挫折させられるばかりか、保守政権が誕生すれば、強力なバッシュラッシュが来襲し、「地下」に潜っていたあの時代への回帰を強いられるかもしれない状況が同時に存在しているのが、今の韓国だ。

映画をめぐる攻防を含めた30年近い、LGBTムーブメントに関する様々な資料は、Korea Queer Archiveというアーカイブに保存されている。公式サイトによると、アーカイブの構築を目的に2002年に設立された韓国性的少数者文化人権センターを母体にし、資料収集を行い、2009年に正式に発足した。通常は閉架で運営されているが、2019年10月に行われたイベントでは所蔵された資料の1割に当たる約8000点が展示された。その関連イベントでは、いかなる資料が存在するのかは、アーカイブに関わる人ですらすべて把握してきれていないと話していた。ムーブメント以前の歴史に焦点を当てたオーラルヒストリーの収集も行われているそうだ。

助成:公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京

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