トルマリンによるステートメント:
私のつくる映画の一貫した特徴は、ありふれた人びとが、世界に対してとてつもなく大きな影響を与えるような日常的行為を、いかに行うのか扱っていること。ストーンウォールで最初にショットグラスを投げつけたマーシャ・P・ジョンソン(『Happy Birthday マーシャ!』)、すべてのIDの性別を男性に戻したミス・メジャー(『The Personal Things』)、エイズの蔓延や、黒人を標的とした取り締まりの経験を通じた喪失感に立ち向ったエジプト・ラベイジャ(『大西洋は骨の海』)。いずれの映画も、ささやかな行為をしたはずが、実際には信じられないほど大きなことだった人物たちの姿を追っている。日常的でありきたりとみなされている物事が、どれほど深い美しさを持っているのか明らかにしたい。そんな心の底からの願望が私にはあって。日常のなかにある美に、私は強く引き込まれずにはいられない。その人が生きてきた人生の物語が、背後に追いやられてしまいがちな人びととの出会いにおいてはとりわけそうで。
Day With(out) Art のためのビデオ作品のアイデアが生まれてきたのは、オードリー・ロード・プロジェクトに置かれた団体TransJusticeの一員として、シルビア・リベラ法律プロジェクトの事業に従事していたときだった。私たちは、有色人種のトランスジェンダーやジェンダーノンコンフォーミング(訳注:既存の二極化されたジェンダーに自分が当てはまらないと感じている)の人びと、低収入の人びとを対象に、そういう人たちの生活保護へのアクセスに関して、コミュニティを組織化するキャンペーンをしていた。生活保護へアクセスできるかどうかは生死を分ける差し迫った課題だ。私たちのコミュニティの多くの人たちは、福祉事務所やHIV/AIDS関連サービスの事務所での嫌がらせに悩まされつづけている。「無理なんですよ。あなたは援助を受けることができません。男性なのか女性なのか分かるような姿になってから来てくださいね。」なんて言われて。エジプト・ラベイジャはTransJusticeのコーディネーターだった。私たちはたくさんの「研究」をした。状況を改善するための方法について、その戦略を構想していた。彼女がある日、一冊のコーヒーテーブルブックを持ってきたんだけど、その本は、90年代のウエストビレッジでの彼女や、他の人たちの姿を取りあげたものだった。エジプトが語ってくれたのは、その本に載っている人は彼女以外みんな亡くなってしまったって話。それと、その本を作った誰一人として写真を撮る許可を彼女に尋ねなかったということも。私たちはたくさん話した。黒人の経験や、黒人トランスジェンダーの経験、黒人貧困者の経験を、アーティストたちが搾りとる形になっているのだ。そんな人たちが公の評価を得ている。そして、そうやって搾取されることにつきまとう感情について。また、私たちは喪失についても話した。多くのものを失うことはどのような結果をもたらし、それはある場所にいかに取り憑くのかについても。喪失は、ジェントリフィケーションやHIVの犯罪化や、あまりにも行き過ぎた「生活の質」向上のための取り締まりを通じて、クリストファーストリートで、ミートパッキング地区で、チェルシーで、ウエストビレッジで起こってきた。エジプトは驚くべきパフォーマーにしてアイコンだ。私は「このストーリーをいかにして共有できるのか、解明する取り組みをぜひあなたとしたい」と彼女に告げた。
こういうことが起こっている間に、アレクシス・ポーリン・ガムスがルシール・クリフトンの詩「Atlantic is a Sea of Bones」を朗読するのを聞く機会があった。その詩は私に大声で呼びかけてきた。何百年も前の歴史的トラウマからある風景に取り憑いた暴力に耳を傾けること。それによってもたらされる変容の可能性について。同時に私は、「ミドル・パッセージ」(訳注:大西洋間奴隷貿易において奴隷たちが運ばれたルート)を取り巻くSFファンタジー物語について、長年にわたって思いを巡らせて来ていた。それでつい最近興味を持ったのが、デトロイト出身のエレクトロニックミュージックのグループであるDrexciyaだった。彼らの持つ神話的世界観―「ミドル・パッセージ」で、船外へと飛び込んだり、あるいは投げ込まれた人びとが、水中にコロニーや都市を創設する物語―に引き込まれた。私は、人びとの生活や社会空間を形づくる、延々と続くエネルギーの流れと暴力についての映画を作りたかった。大西洋間奴隷貿易からHIVの犯罪化まで、全てが深く密接に相互につながり合い結びついていて、「アーティスト」たちによって搾取されてきたエジプトの物語とも完全に分かち難くあるような映画を。
エジプトというキャラクターは、エジプトその人をもとにしているけれど、実際のエジプトとは異なるキャラクターになっている。私は、エジプトがジャマルというキャラクターに助けられながら、自己実現に向け邁進する脚本を書いた。ジャマルは冥界の者。さそり座のゴーストというキャラクターで、ジャマル自身の自己実現をエジプトもまた助けるという関係になっている。これはラディカルな互恵主義を意図してのこと。この種の物語ではこれまで幾度となく、主要キャラクターのためだけに存在するマジカルな人物というキャラクターが置かれてきた。それに対して、一方的にケアする/ケアされる関係によるナラティブの型をひっくり返したいという強い思いが私にはあった。
バスタブのシーンをやるのは、びっくりするほどたいへんだったけれど、素晴らしいものだった。その水は、バスタブから溢れつづけていて。それは精神が語りかける力強い姿のように思える。全てのものは溢れ出しているというメッセージだ。それは押さえ込んでしまうことなどできないものなのだ、と。私は言った。「思い出させてくれてありがとう」って。この感覚は、美しく、頭にずっと残る、叙情的なものだった。こうして水が映画に組み入れられて、一つのキャラクターとなる。私たちはホイットニー美術館の最上部でも撮影をした。美術館が移転してきた新しい所在地が、ジェントリフィケーションによる大変暴力的な浄化の根底をなすような場所の一つであると暗示される。ミートパッキング地区や川沿いの埠頭[ピアー]には、HIV+の人たちのための場所、黒人やトランスの人たちのための場所があった。そしてそれらの場所は、今もまだ存在しているのだ。彼女/彼らは完全に出ていった訳じゃない。そのことを、エジプトの物語や、より幅広く、水辺で営まれることになった生や生活と結びつけることはとても重要なことだと感じた。
私が行っているコミュニティ組織化の実践は、その場で起こった問題からもっとも影響を受けた人びとに、自分たちで世界に変化を起こすことは可能だという力の感覚を築き上げるためのもの。財源へのアクセスをより多く持っていたり、問題ある状況に力まかせに介入し解決するような権力とのつながりを持っていたりするほかの人たちの助けなど必要ない。そう思える力強さを持てるようにするのだ。私たちは解決策を探っている。私たちは想像し、熟考し、そしてそれを実現する。私にとって、10年間にわたりそういう実践を行って学ぶことは、奥深い旅のようなものだった。そのただ中にいる間は、他のことをすることは想像もできなかったのだけれど、終わりに近づくにつれて、自分にとってアートと物語がどれほど重要かを私は理解しはじめた。どんなところに行っても、シルビア・リベラやマーシャ・P・ジョンソン、バンビ・ラムーアやアンドラ・マークスそしてS.T.A.R.(ストリート・トランスヴェスタイト・アクション・レボリューショナリーズ)についての話をしたくなった。これらの人たちの友人を通じて、また彼女/彼らがニューヨークという都市のあちこちに残した―それがどこかのアーカイブの中、あるいは誰かのベッドルームにであろうと―その足跡や痕跡を通じて、私は彼女/彼らについてますます学んでいった。そして創造力をもっと探るようになる。それは組織化の仕事においては必ずしも探ることのなかったものだ。コミュニティの組織化キャンペーンに携わることは、とても活力を得られるのだけれど、同時に、障害をもつ私にとっては、他のことをするエネルギーが全く残らないほどきついものだった。私には完全にキャパオーバーだった。また、友人の多くが死んでいっていた。今までのやり方で仕事をつづけることは不可能だ、そう悟ったのはこの時のことだ。食べていくための別のやり方が必要だった。そうして、マーシャの物語のように私に大きな影響を与えた物語は、お互いに関連性を持っていることに私は気がついた。
映画制作にどんなことがともなうのかは、まったくの無知だった。でも確固たる意志はあった。『Happy Birthday マーシャ!』で、サーシャ・ウォーツェルとの制作が始まり、私たちのカメラマンになったのがアーサー・ジェイファ。彼から学ぶことは、それは素晴らしい体験だった。最初の夜、私はモニターの前にいて、そしてはっきりと理解した。監督こそが私がやりたかった唯一の仕事なんだと。人びとの生や生活は都市の至るところに、一つ一つは取るに足らなく見えるけれど、すばらしい痕跡を残している。それらはこれからも残され続けていく。目の前に立ち現れてくるマーシャやシルビアのような人が生きた痕跡にふたたび息を吹きこむことができるのは、なんとも素晴らしいことだ。さあ、後を引き継いでいって、そんな風に呼びかけられているような気持ちになるから。
(聞き手:ヴィヴィアン・クロケット、キュレーター)
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